【対談】It’s a Family Affair“家族”にまつわる物語。

山井親子の対談から見えてきたのは、
その始まりから現在に至るまでSnow Peakの中心にある
“家族” という言葉の存在でした。

スノーピークが創業60周年をむかえた2018年。代表取締役社長の山井太(以下「山井」)と、執行役員企画開発本部長の山井梨沙(以下「梨沙」)がSnow Peakの原点を改めて見つめ直しました。

梨沙
こうして社長であり父を目の前にして改めて対談する機会なんてほとんどないんですけど、私は生まれた時から毎日の生活の中にSnow Peakがあったので、その道30年。もともと問屋業、釣り具、ロッククライミングや登山用品の会社だったところから、私が生まれる1年前くらいに、父が社内起業みたいなかたちでキャンプを新規事業として始めていて。だから、小さい時から休日といえば父が開発したキャンプ用のギアのプロトタイプ・サンプルを家族で検証するみたいな生活だったので、なんかもう私にとってSnow Peakは、生まれた時から当たり前のもの。家がそういう商売やってるからとかいう意識も無く、本当に「家族の風景の中で当たり前なことがキャンプ」っていう感じだった。
山井
ちょうど地元の新潟に戻ってくるタイミングで結婚して、すぐに第一子として生まれたのが、梨沙。その後、だいたい3歳違いくらいで3人の兄妹ができたんだけど、子ども達の成長のステージの中でSnow Peakのギアを開発していったんです。例えば梨沙が3歳くらいの時、彼女はおてんばだったから、キャンプで大人用の椅子に座っていたら、めちゃくちゃ暴れてしまって。
梨沙
ちょうどあの赤いフォールディングチェアだった。
山井
やっぱり、テーブルと椅子の高さが子供には合わなかった。それで、しょうがないから彼女用にFD KID’Sチェアを開発した。繰り返すようだけど、かなりのおてんばだった彼女が暴れても大丈夫なようにフレームの構造も見直したり。そんなふうに、家族の成長だったりライフステージによって、Snow Peakのギアは進化を続けてきた。だから梨沙は、小さい頃から一緒に「ファミリーキャンプ」というコンセプトを一緒に作ってきたひとりでもあるんだよね。そんな風にして、僕の時代に立ち上げた第二世代のオートキャンピング、そして梨沙が立ち上げた第三世代のアパレルをはじめとするさまざまな事業が仲間に加わっていったわけです。

家族の成長やライフステージによって進化してきたSnow Peakのギア。このFD KID’Sチェアも、幼い梨沙氏が赤いフォールディングチェアの上で暴れたことから生まれた。

Snow Peakの歴史は、家族の歴史。

梨沙
高校を卒業して上京してから、キャンプを全くしなくなった時期があった。もともと興味や関心があってキャンプするというよりは、生活の一部だったので。上京して家族と離れたら、自然とキャンプしなくなって。当時は服飾の学校に通っていたので、そのまま洋服の方に流れてたんですけどね。
大学院を卒業した後、コレクションブランドで働いていたんですけど、なんかまあファッション業界にいることがしんどくなってしまって。洋服を作ることは好きなんだけれど、ファッション業界はちょっと…、という感じで。 それまで一度も人生相談とか、将来についての相談を父にしたこと無かったんですけど、なんか思い立って父に電話してみたんです。Snow Peakに入社するつもりは全くなくて、ひとりの大人の人生相談として、ホントにただただ話を聞きたかったんです。その時に、「Snow Peakだったら何かできることがあるんじゃないか?」って言ってくれて。
それからしばらく自分の中で考えてみて、自分がSnow Peakでやりたいことが具体的に固まってきて、そこで入ってみようと決めた。それから履歴書を作って、普通に入社試験を受けて入社したんですけど、それが父がキャンプの新事業を始めたのとまったく同じ年齢で、ちょっと運命的なものを感じましたね。
山井
アパレルって多分、やろうと思ったらかなり間口が広いじゃないですか。洋服って考えたらどんな洋服でも作れるので、コレクションとか狭そうで広い世界の中でやってくよりは、ある種の制約のあるフィールドでやった方が際立って、新しい価値観を生み出すこともできるのかなと思って。
彼女がSnow Peak Apparelのブランドコンセプトとして考えた「HOME⇄TENT」というのは、非常にSnow Peakらしいというか、Snow Peakでしかできないと思ったので、2014年の秋冬からに立ち上げた。Snow PeakのDNAの中からしか生まれてこないアパレルになったので、とてもよかったと思う。
梨沙
Snow Peakで自分は何ができるのか考えるようになってからは、都市生活をしていてキャンプをしたことがない人たちが、どうやったら洋服によって自然に出ようって気になるんだろうというのをひたすら考えてた。それで行き着いたのが、「都市生活から自然に出て、自然の中でキャンプをして、夜寝て朝起きて、また都会に戻るところまで機能する服」というテーマ。 それが実際に商品として形になってから、アメリカのメディアで「フューチャー・アーミッシュ」として紹介されたりして。まあ全然意識もしていなかったし、うちは宗教じゃないけどSnow Peak的な思想がひとつの民族的な形として海外の人に受け入れられたっていうのは、すごく感慨深かったですね。Snow Peakがこれまでに築いてきたものの上にあることなので、特に。
山井
Snow Peakの全事業の根底には「人間性の回復」というテーマがあって、それはもうキャンプ用品もアパレルもアーバンアウトドアもグランピングも地方創生も、串刺しで一本筋が通ってるもの。5年前くらいまでは、それは主にキャンプ用品をサプライする事によってのみでしか実践できていなかった。
日本のキャンプは800万人くらいしかいないので、仮にSnow Peakのマーケットシェアが100%になったとしても、人口の6.5%しかいないですよね? 93.5%の人たちの人間性の回復というのもテーマとしてすごく価値のある事だと思うし、アパレルがいちばんそこに届きやすいんじゃないかと思う。非キャンパーにも普段着として着てもらえるものなので、Snow Peakの製品サービスの中ではいちばん多くの人に触れてもらえるものになる可能性がある。

2018年4月にラウンチした「LOCAL WEAR」プロジェクト。

その土地を着るということ。

梨沙
Snow Peak Apparelを始めて5年目の今年、ちょうどこの4月から「LOCAL WEAR」という新プロジェクトを始めるんです。第一弾は、地元新潟の佐渡から。日本のものづくりって、源流を辿るとその土地にしか湧いてない水があったりとか、ものづくりの起点も「自然」なんですよね。最近、日本でものづくりやっていると、後世に対して繋げていこうっていう意識がなかなか芽生えないところでずっと産業が成り立っていると思う。
こういう状況が続いていくと、日本の資源の中でものづくりができなくなるんじゃないかっていう危機感がすごく芽生えてきて。「LOCAL WEAR」というプロジェクトは、私がものづくりする中においても、やっぱりちゃんと日本で残すべきものを残して、それを世界中に伝えて、なぜそれがよいものとして残ってきたのかを本質的に知ってもらいたいなっていうのも含めて始めたんです。
洋服を通してその土地と繋がるっていうアプローチって、たぶん世の中的に無かったと思うんですよね。衣食住の中で、「衣」だけがすごく取り残されてる感じあって。他のブランドじゃなくSnow Peakだからこそ、衣の分野でもしっかり地方と繋がるっていうこと、「その土地を着る」という提案ができるんじゃないかと思う。
山井
そもそもSnow Peak自体が、町工場がたくさんある地元の燕三条という場所の技術を、デザイン・プラットフォームになってアウトドアというライフバリューやライフスタイルに変換することでできてきた。その結果、アウトドアの愛好者に燕三条をその産地として親しみをもってもらえるようになり、実際に足を運んでもらえるようになった。Snow Peakは「local to local」なブランド。地域と地域、人と人をダイレクトに繋ぐ。燕三条も東京も海外もひとつのローカルとしてみているし、そのスタンスは変わりません。「LOCAL WEAR」のプロジェクトでは現地での職業体験ツアーなどもやっていくのですが、ローカルウェアを買った人に産地に行ってもらえるようにしようというところは、既存のアパレルブランドには無かった切り口。気候風土とか、そこの空気感とか、人の気持ちとか、その場所に行かないと感じられないものがあるし、それこそが重要なんじゃないかな。

昔も今もアウトドアパーソンとしての価値観が
Snow Peakのすべての事業のベースであり、それを共有する社員は家族のような存在

300人の大家族だからできること。

梨沙
そんなSnow PeakのDNAは、一緒に働くスタッフの中にも確実に存在していると思う。そもそも採用の条件として、キャンプが好きなこと、Snow Peakが好きなことっていうのが大前提としてあるんですけど、ただただ好きというだけではなくて、自分なりに解釈をして事業の改善だったり、新事業の提案をするスタッフが多いんですよね。
山井
もちろん、才能のある社外の人たちと一緒にクリエイティブなことをやっていくことも重要で、そういう機会も増えてきているけど、昔も今もアウトドアパーソンとしての価値観がSnow Peakのすべての事業のベースであり、それを共有する社員は家族のような存在。新卒の採用を続けているので平均年齢が32歳くらい。人数も世界中で300人を越えて、今ではずいぶん若くて大きな家族になってしまったけど(笑)。
時代が進化して文明が高度になっていて、今の時代の中で何か欠けてしまったものっていうのが、たぶんアウトドアの中にはまだまだ色濃く残っている。人を元気にしたり、会社を元気にしたり、社会を元気にしたりする力があると思うんです。だからこそ、グループの家族と一緒にそのニーズを満たすことをやり続けていきたいですね。

photography : Great the Kabukicho
Edit : Kei Sato