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LOCAL WEAR TOURISM in TOCHIOTALK SESSION vol.1
LOCAL WEAR TOURISMは、燕三条という土地に根ざしたスノーピークが、日本各地の魅力を着る文化に光を当てて今を生きる人々に繫いでいく旅。土地に根づいた労働と作業着の関係を追体験する旅先として、2018年11月5日から6日の二日間、新潟県栃尾の染色工場と織物工場を訪れました。
LOCAL WEARをはじめ、スノーピークアパレルでも採用している、栃尾や新潟ならではの絣染やしじら織、スペック染などの技法を各工房で見学後、Snow Peak Headquarters Campfieldでテントを建て、新潟食材のBBQと満点の星空の下での焚火を楽しみました。あたりが暗くなった頃、トークイベントを開催。日中見学を行った染色工場・港屋株式会社の風間国雄さん(以下「風間」)、織物工場・記祥織物の親会社である浅記株式会社の羽賀一嘉さん(以下「羽賀」)をお迎えし、スノーピークの企画開発本部長(当時)「LOCAL WEAR」デザイナーの山井梨沙(以下「梨沙」)、同企画開発部開発課マネージャーの菅 純哉(以下「菅」)が、栃尾や新潟県の織物産業が抱えている様々な課題や歴史的背景から現在に至るまでの歩みなどを語り合いました。
*登壇者の肩書きは2018年11月現在のものです。
スノーピークアパレルのはじまり
- 菅
- 僕はスノーピークアパレルで、主に素材の企画だったり開発をしている菅と申します。よろしくお願いします。
- 梨沙
- スノーピークの山井と申します。スノーピークのアパレル事業を立ち上げて、現在はギアの開発、アパレルの開発、あとカタログやクリエイティブの全般を統括させていただいております。よろしくお願いします。
- 羽賀
- みなさん、こんばんは。今日は一日大変お疲れ様でした。浅記株式会社の羽賀と申します。今日はこんな大勢のみなさんの前でお話しするということで、大変ドキドキしております。普段あまりないことですので。そして、キャンプは20年ぶりということで、ワクワクもしております。刺激的な夜になりそうです。今日はひとつ、よろしくお願い致します。
- 風間
- おつかれさまです。港屋株式会社・染色部の風間と申します。今日はよろしくお願いします。
- 梨沙
- まずは、スノーピークアパレルの歴史について少し触れておきますね。
私は2012年にスノーピークに入社しました。それまではとあるファッションブランドのデザイナーのアシスタント業などをしていたのですが、ファッションの仕事に疲れている時期にちょうどここのスノーピークのキャンプフィールドができて、以前家族でキャンプして以来10年ぶりくらいに始めて自分でキャンプをしようと思って、ここを訪れてキャンプをしたんです。
その時、東京で忙しく動いている毎日から、こういう場所で自然を楽しむということがすごく価値のあることだなと気づいて、履歴書を書いてスノーピークに入社しました。ファッションという一本の価値だけではなく、アウトドアで自然と関われる新しい価値の洋服を作りたいなと思って入社したのがきっかけで、当時はまだキャンプ用品のメーカーだったスノーピークに、アパレル事業部を立ち上げました。
日本のアウトドアブランドはスノーピークとモンベルしかないと思っているんですけど、アメリカナイズされているファッション業界はもちろんそうですし、世の中的にアメリカナイズされている中で日本らしいアウトドアのウェアを作りたいなと。あと、世界一ユーザーさんとの距離が近いスノーピークらしいアパレルを作りたいと思ったので、うそ偽りのない服、365日、街と自然と両方で機能する服を、スノーピークアパレルでは目指しました。
アパレル事業を社員として立ち上げたのは私ひとりだったのですが、私は企画コンセプトとデザインしかできず素材のことを全然知らなかったので、当時はまだバイトでしたがもともと生地のコンバーターで働いていた菅が、素材のことを担当してくれました。私が「こういう生地が欲しい」というのを菅の方で全部探してくれて。
- 菅
- 日本の素材で、やっぱり新潟の企業なので地元の新潟の素材を使いたいという時に、前職で取引のあった浅記さんにお願いしたという感じでしたね。
- 梨沙
- 二人三脚でアパレルを立ち上げていく中で、港屋さんとも出会い、現在に至るわけです。
スノーピークアパレルを形作る仲間たち
- 羽賀
- 今回のツアーで参加者のみなさんは「浅記」という会社には全然接していないわけなんですけど、今日行っていただいた記祥織物という会社の親会社が、浅記株式会社です。
簡単に言うと問屋で、スノーピークさんと商談や企画を担当しています。山井さんや菅さんと「こんなものが作りたいんだ」「こんな生地が作りたい」というような要望を頂きまして、色々と詳細を詰めていった上で、それを記祥織物さんに「この素材で、この色で、何m生産して下さい」というような形で発注するわけですね。記祥さんが生産されて、今日も説明させていただきましたけど、生織を加工場に投入して柔らかい風合いに仕上げるというところまで、生産管理、納期管理を私たちが担っております。スノーピークさんとは、「この工場へ送って」というオーダーがあったら、デリバリーまで担当する。そういう中間の業者ですね。
私が籍を置いているのテキスタイル事業部になるんですけど、ニット事業部、原糸事業部と三事業部からなる会社でして、創業が明治2年ということで、2019年に150周年を迎える古い会社ですが、その歴史に負けないように今後も頑張っていかないといけないと思っております。
今日みなさんが行かれた記祥織物さんはうちの子会社になるんですけど、平成26年にそういう形になりました。もともとは機屋さんで、弊社とは親戚関係にあった会社で、この新潟において私たちのグループでも中核をなす会社だったのですが、残念ながら後継者問題が生じまして、弊社が社員さんをそのまま引き継いだという形になります。今日行かれたのでお気づきかもしれませんが、この産地においてもスタッフが比較的若い会社です。だから私たちがお客さんに言われたことを伝えても、しっかりと理解してもらえますし、機動力もある。そんな機屋さんですね。
- 風間
- 港屋は、今日、社長から挨拶があったように明治4年の起業で今に到っているわけですけど、染色がいちばん早く立ち上がりまして、続いて昭和25年に織物を立ち上げました。
スノーピークさんとのお仕事を説明すると、スノーピークさんが浅記さんに「どういうモノを作りたい」と依頼をします。それを浅記さんが記祥さんに依頼をしまして、記祥さんが私どもにカラーの依頼をしてくるわけなんですね。言われたカラーを忠実に再現できるように物事を進める、そういう流れになっています。
今日、みなさま見学されまして、非常に地味な仕事だったでしょ?お客さんに言われたカラーを出すために一生懸命にやっているということだけでもご理解いただけたら、とても嬉しく思います。
栃尾の素材の決め手は「愛」
- 梨沙
- スノーピークという企業自体は1958年創業でちょうど今年で60周年になるんですけど、もともとアイゼンとかピッケルとか登山道具を先代が作り始めていて、今の社長になってキャンプの事業に移行していったんですが、燕三条という土地で商売をやるにあたって、チタンやアルミなど金属加工の発達している地域で、地元の工場と二人三脚で成長してきた企業です。
2014年にアパレルを立ち上げるにあたっても、できる限り新潟の企業として地元の産業と一緒に新しい事業として展開していきたいという思いがすごく強くありました。
- 菅
- ギアもそうなんですけど、もちろん国内の他の地域で作っているものもありますが、地元生産にこだわることが、アパレルの強みになっていると思いますね。
スノーピークアパレルの服を作るにあたって僕たちが最も重要視していることは、人間が着るもので、自然を感じてもらいたいということ。だから、素材の風合いをとても大切にしています。浅記さん、港屋さんには主にシャツ地をお願いしているんですけど、シャツ地にもいろいろあると思いますよね?パリッとしたものから柔らかいものまで。僕たちは、できるだけ気持ちよく自然を体感してもらいたいということで、柔らかくてやさしく肌に触れる素材を探している時に、両社が新潟の栃尾で作っている素材がとてもマッチして、立ち上げからずっと使わせていただいています。
- 梨沙
- 布帛の柔らかい素材をコットンで探していた時に、とにかく触ってみて、シャツ地の中で新潟の素材がいちばん柔らかいんじゃないかと思った。他の地域にも行ってみたんですけど、同じ糸の番手、太さで同じ織機にかけて同じ手法で作っても、圧倒的に新潟のシャツ地が柔らかくなるんですよ。当時、「なんでだろう!?」って菅と話してたんですけど、「たぶん水だ」ってね。
- 羽賀
- 水も当然あると思います。でも、いちばんは「愛」かもしれない。やっぱり愛情を込めて織っていますので。
今仰ったように、新潟の素材は柔らかいんですよ。それには理由がありまして、織りの工程にあたって、もともと小ロットで回している産地なんです。小さいロットで作りますから、縦糸にたくさんの量の糸を巻かなくていいんですよ。たくさんの量を巻くことになれば、テンションをかけて糸を引っ張らないといけないわけですね?糸の断面は円形に近いので、これはテンションをかけて引っ張ると平らになってしまう。そうすると触った時にタッチがつるんとした感じになるんです。
それが好まれることもあるんですけど、今のスノーピークさんが求められているものは柔らかい、素材そのものが持った風合い感、これが残っている生地を求められているわけで、小ロットの方が向いているんです。さらに糸染めも、かせ染めで染めると糸自身の風合い感を残すことができます。だから、やさしく柔らかい織物ができるのだと思います。
- 梨沙
- 風間さん、やっぱり愛ですか?
- 風間
- それがいちばんでしょうね。羽賀さんがお話しされましたが、今日、私どもの会社を見学して頂いた際に、かせの染めについて説明しました。そこでできるものは風合いがいい、糸をフリーの状態で負荷をかけずに染め上げる。それが風合いを求めるのに最適なんです。かせ染めにしていいモノを作るということは、やっぱり時間がかかるというのがデメリットになるかな。それでお客さんに迷惑を掛けることもありますしね。
- 菅
- あとは個人的に、魂の問題になるかと思います。現在の合繊とかもそうなんですけど、どんどん機械化が進んでいて、染色から生地になるまで、一貫してオートメーションで、人の手があまり加わえられずに効率を優先した大量生産方式がある中で、今日見ていただいた通り、染めるところから機械に乗せるところまで人の手をたくさん伝って、人の手仕事が入っているところが、やっぱり素材にも出るんじゃないかと思いますね。
時代の流れとは逆行しているかもしれませんけど、だからこそいい部分があるんですよね。