【伝統】from PARTNER鎚起銅器「玉川堂」の仕事着とは。

Prologue

新潟県燕市で200年以上もの間、銅器づくり一筋に歩んできた「玉川堂(ぎょくせんどう)」。銅を打ち、人々の暮らしをより豊かにしてきた鎚起銅器(ついきどうき)職人たちがスノーピークのインサレーションを着用し、世界中で愛用される商品を創り出しています。

玉川堂とはどのような企業なのか、そしてインサレーションを仕事着に選んだ理由まで、玉川堂 七代目の玉川基行さんにお話しを伺いました。

使うほどに愛着が増す、玉川堂の鎚起銅器。

1816(文化13)年から銅器の製造を始め、2016年で創業200年を迎えました。新潟県の中央部に位置する弥彦山は元々銅山。そこで採掘される銅を使い、先人たちは銅器を作ってきました。

玉川堂の銅器の特徴は“色”。世界中にさまざまな銅器産地がありますが、この着色は他にはありません。使いこむほどに色合いが深まり、愛着が増します。

基本のカラーは8色。そこから磨き具合、焼き具合で何十、何百種類と色合いが変化していきます。ブランドを代表する紫金色(しきんしょく)は玉川堂のオリジナル。銅の表面に錫(すず)を焼き付ける手法で、大正時代の職人がたまたま発見したものです。

全く叩いていない銅に着色してもいい色にはなりませんが、叩くことによって分子構造が変わるのか、いい色になる。人間の手が加わることで銅はよりいい色を見せてくれるのです。

玉川堂で働く鎚起銅器職人は現在19名います。その内7名は女性で、平均年齢は34歳と伝統工芸の世界で見てみると圧倒的に平均年齢が低い。美大からの希望が多く、主力商品は茶器や酒器ですが、女性らしい感性で作り上げる一輪挿しや花瓶も非常に好評をいただいています。

過酷な環境にも耐えられる自慢の一着。

2014年に玉川堂初の直営店となる青山店が骨董通りにできたのですが、スノーピークのアパレル事務所が歩いてすぐのところにありました。その頃、創業200周年を迎える前に仕事で使用する道具は全てメイド・イン・燕三条にしたいと思っていたのでピンときました。「スノーピークにユニフォームを作ってもらおう」と。

そこで、山井梨沙さん(スノーピーク現社長)と何度も打ち合わせを重ね、このユニフォームが完成しました。

「創業300周年を目指し、毎日着用するユニフォームからも洗練された玉川堂らしさを表現したい」。そう思っていました。

インサレーションは軽くて暖かく、伸縮性があって動きやすいので、寒さ厳しい新潟の冬には欠かせません。職人が着ると、伝統と革新が合わさったような感覚さえ覚えます。

見た目も、機能性も、最高にいい。燕三条の企業がみんなスノーピークのユニフォームになればいいのにとさえ思いますよ(笑)。

また、私たちの作業は銅を焼いて硫酸につけることもあるので、薬品が飛ぶと衣服が溶けて破れてしまう。そこで、薬品にも負けない、丈夫な素材の野良着も依頼しました。私は外出時にも愛用しています。講演会でも私はジャケットではなく野良着を着ることがあります。お気に入りです。

伝統と誇りを胸に働く職人たちの姿を見てほしい。

これまで東京、そして世界中に販売店を広げてきましたが、最終的には燕の本店にお越しいただき、新潟の産業観光を楽しんで欲しいという願いがあります。職人たちが銅器を作っている姿を見ていただくことが親和性につながり、愛着を持って道具を使っていただくきっかけにもなるでしょう。

「伝統は革新の連続」という言葉をよく使うのですが、伝統と伝承は違います。伝承は「ただ受け継がれていくこと」、伝統は「革新を連続していくこと」を指します。

そもそも、伝統という言葉は軽々しく使えるものではないのです。その言葉は重く、非常に責任を伴うもの。常に変化をしなければいけないのが伝統です。

伝統と誇りを胸に働く職人たちの姿を、ぜひ見に来てください。玉川堂では明治時代から工場を開放してきました。工場見学は要望があれば受け付けていますし、ふらっと来られた方にもご案内をしています。多くの方に国際産業観光都市・燕三条の魅力を発信できるよう、これからも尽力していきたいですね。