【コラム】A Letter from Peru遊牧民の暮らしを訪ねて。

「妹よ、いつか僕らが大好きなペルーに一緒に行こう」
 
 
ついに今年、その日が来た。

私に兄はいない。私を妹と呼ぶのは、デンマークから3年前に私の前に現れた海賊・井上兄弟(兄/聡、弟/清史)だけである。

井上兄弟については以前に対談コラムで書いたが、今このタイミングで補足しておきたいことがある。

井上ブラザーズは世間的には不良であり、人間らしい愛に満ち溢れた、純粋な理想主義者だ。そして、その理想を現実にするために時間と自分たちが稼いだお金を使っている。すごく平たく言えば、世の中を良くするために物理的な価値を消費しながら他者と幸せを生み、それを共有できるものと共感し、自己満足を満たす。それは、私が井上ブラザーズに共感を覚える源泉にあるものなのかもしれない。
 

「好きなことをして大金を稼ぐ」なんてことは、相当な行動力と強運の持ち主か、お金儲けが純粋に好きなひとにしか成立しないのかもしれない。好きなことのために稼ぎを犠牲にしているひとも、私の周りには数えきれないほどいる。

お金を稼ぐ理由と金に対する価値は人それぞれだが、「何の為に稼ぐのか?」という問いに対して、大きく分類して自分の生活を守るため、家族を養うため、自己顕示欲を満たすためという答えがほとんどだ。自分が生きるために消費することは、生きている以上最優先であることは当たり前で、幸せなことに家族がいるならば彼らが生きていくために消費することもまた必要なことであり、当たり前のこと。実際、私もそうだった。

この旅で初めて訪れたペルーでは、私たちより幸せで、物理的、金銭的には貧しい人たちの姿が印象的だった。

ペルーのアンデスで遊牧民と滞在しながら見たものは、モンゴルの遊牧民との生活にも近く、ペルーとモンゴルの遊牧民に共通していることは、生活のために家畜と暮らしていること。

モンゴルの遊牧民が三食家畜の羊を食べるのと同じように、ペルーでは2歳までのアルパカは毛を刈り衣料用として飼われるが、それより歳をとったアルパカは食用として自分たちで食べる。2歳までの毛は先進国に出荷されるセーターやコートに加工されるために売られ、またペルーの人の手により選別され、糸となり、衣料製品となっていく。

アルパカ肉は全くクセがなく、モチモチした食感だった。他にはCuy(クイ)というモルモットによく似た可愛らしいネズミも各家で養殖され、貧しい遊牧民の貴重なタンパク源になるらしい。クイの味は想像にお任せする。

今回、井上ブラザーズが「先生」と呼ぶペルー人のAlonso(アロンゾ)さんが旅に同行してくれた。日本からはわたしとAuraleeの岩井さん、岩井さんと共にAuraleeを立ち上げたタカヒロさん、この美しいペルーを伝えるために同行してくれた映像作家の松木さんの計4名。ペルーのアレキパ空港に着くと、井上ブラザーズとアロンゾ先生が迎えてくれた。

アロンゾ先生はペルーの遊牧民の「豊かさ」のために、遊牧民と共に生きるアルパカの質を向上させることがペルー国の発展と信じ、25年以上もの時間をアルパカの研究に費やしている。御年55歳。アンデスの遊牧民と協力をし、生態調査や配植、毛の一本いっぽんの太さを二カ月もかけて測り、ペルーのアルパカ産業に対して結果を出し続けてきた人である。

先生の生態調査のおかげで、かつては50頭程度しかいなかったブラックアルパカは10倍近くに増え、また5,000頭以下しかいなかったビクーニャ(超希少な高級品種)は10万頭ほどにまで増えた。話を聞くたびに尊敬の眼差しを向ける私に、アロンゾ先生は「この成果は私によるものではなくチームによるものだ」と話す。超かっこいい。

そのアロンゾ先生がアルパカの研究を行うPacomarca(land of Alpacaの意)は、標高4500mに位置し、そこで3日間の“アルパカ大学”の授業が行われた。

高山で酸素が薄く、夜中のトイレに向かう廊下であんなにフラフラしたのは、酒で泥酔したときにも味わえない感覚だった。5分おきに豪雨と炎天下を繰り返しながら一日で20℃もの寒暖差のある、電波の繋がらない山奥での生活や、いつも通りの歩いている速度ではすぐに息が上がり、頭も痛くなる高山での自然環境。その普段の生活とは違う不安のなか、一人ひとりの気遣いや役割、その行動と会話で助け合うことと、アロンゾ先生がペルーの食材で作る家庭的な食事に何度も救われて、気づけば笑顔になる。今回も旅のチームには本当に恵まれていた。

「梨沙ちゃん、同じ人間として彼らのことを認めることが大切なんだよ。その方がみんなハッピーでしょ」
 
井上ブラザーズがヨーロッパを拠点にペルーにわざわざ足を運び、ペルーの人との関わり方や現地のスペイン語での言葉選びにまでこだわり仕事をする理由。それは、植民地として同じ人間なのに差別されてきたペルーの人々の痛みが解るからだろう。

この文明社会が発達するなか、ペルーの人々があえてときに過酷でときに素晴らしい自然を受け入れながら、自然と共に生活する生き方を変えないという選択をしていることの難しさと、それが人間らしく生きる上で大切なことだと理解できるからだと、初めて訪れたペルーで時間を重ねるごとに、ただただ実感が湧いた。
 

私たちが生きる日本の裏側には、私たちが文明社会で生きる価値観や、島国の自然環境とは全く異なるが、私たちと同じ人間がペルーという異国で同じ時間の流れと共に生きてることを想像してみてほしい。

肌の色で何百年もの間差別を受け続け支配された歴史や今でも変わらずアンデスの山奥で遊牧生活をしている姿に少しでも今の自分の生活を照らし合わせてみてほしい。

今年、井上ブラザーズと、ペルーの遊牧民のために一緒にお金を出し合い家を建てようと約束をした。文明を知らない遊牧民の生活を尊重した自然資源で建てることができ、文明の知恵で快適にもっと住みやすくなる家を。

この文明とプリミティブが歩み寄った現代の遊牧民のための“Nomadic eco-house”のプロトタイプもアロンゾ先生の発明である。
 
「アルパカのプロジェクトはお金儲けのためじゃないから。正当な対価を彼らに払うためにやっている」と、ブラザーズは口癖のように言う。その強い意志と勇気に少しでも賛同するためにわたしもアルパカについて知る努力をし、微力ながらプロダクトを生み出してみなさんに届けようとしている。
 

資本主義によって得られる便利さと引換のような利己的な欲だったり、遊牧民の生活の中にある貧しさと隣り合わせの人間と自然のつながりの本質であったり。どちらも知っていること、そのコントラストの間でバランスをとることが、これからの社会に生きる上で大切なことかもしれない。

最後に、この旅で私の胸に深く刻まれたアロンゾ先生の言葉を共有したい。
” わたしはこのペルーの世界で一番過酷で最も美しい自然のコントラストを愛している。”

photography : Sho Matsuki
edit : Kei Sato(射的)