【伝統継承】from PARTNER行山流舞川鹿子躍保存会「未来に伝える使命とは」。
「LOCAL WEAR IWATE」で岩手各地に伝わる鹿踊り(ししおどり)をモチーフにしたのがご縁で、麻衣さんに出会いました。代々続く伝統芸能の庭元(にわもと)の家に生まれた、という境遇もどこか私と近くて、ぜひお話を聞きたいと思ったのです。
彼女の生まれた岩手県一関市の舞川地区では、「鹿踊り」を「鹿子躍」という漢字で表現します。鹿の頭をかぶり、腹につけた太鼓を叩きながら跳躍する姿は、本当にかっこいい。人と自然が深く結びついていた頃の、野生の踊りです。それを子どもたちに伝えて未来に残そうとしている麻衣さんの言葉もまた、しなやかで軽やかでした。
●お話を伺った方
行山流舞川鹿子躍保存会
事務局
佐藤麻衣さん
●聞き手
株式会社スノーピーク
代表取締役副社長 CDO
山井梨沙
行山流舞川鹿子躍(ぎょうざんりゅうまいかわししおどり)とは
岩手県一関市舞川に伝わる郷土芸能。腰に太鼓をさげ、頭に本物の鹿角を付け、自ら唄い、太鼓を打ち鳴らし、背負った「ササラ」を揺らしながら跳躍。お盆などに踊られる。正保元年(1644年)からの伝書が多数伝わっており、戦争で一時中断した後、昭和30年(1955年)に保存会を結成し現在に至る。小中学校や女性、外部へ門戸を開き、また「東京鹿踊」プロジェクトとも協働するなど、多様な継承活動を行っている。
躍り続けること。 守るのではなく、伝えるために。
佐藤 シシというのは「山で獲れた獣の肉」という意味で、「鹿踊り(ししおどり)」はその命を供養し感謝するためのものといわれていて、今は亡くなった人の供養で主に踊られています。岩手各地でスタイルが違います。ここ舞川地区では「鹿子躍」と書きます。跳躍の躍ですね。
山井 私も衣装を着させていただきましたが、すごく重たくて……。これでよくあんなに激しく踊れるなと感動しました。今回、一関で100年以上続く京屋染物店さんと鹿踊りをモチーフにした服をつくったのですが、麻衣さんが鹿子躍に関わるのは、どういうお気持ちからですか?
佐藤 私の高祖父の代が庭元制(家元のようなもので、踊りや道具・巻物など鹿子躍の全てを管理する制度)最後の家だったんです。戦前に長い中断があって、戦後に残された人たちが「今こそ鹿子躍を盛り上げよう」と保存会を立ち上げました。そして東日本大震災の後、私もまた今こそ鹿子躍を盛り上げたい、と思うようになりました。戦後の衣装も京屋さんで染めていて、今も大切に保存しています。
山井 同じ京屋さんでも、昔と今では違うんですね。これはずっと受け継がれている絵柄ですか。
佐藤 ええ、巻物に書いてあるままです。
山井 なるほど。口伝で継承するイメージだったのですが、巻物に絵や文字を残していたんですね。
佐藤 文字を書ける知識人である山伏が介入した時期があるんです。芸能には影響力があるから、そこに山伏の教えを詰め込んでいたと考えられます。それでみんなが崇めるようになったんでしょうね。
山井 そうか。踊ることで、大事なものを未来に伝えようとしたんですね。
佐藤 芸能って古いものを変えにくく、続けている人しかわからない狭い世界になりがちですが、昔の山伏のように外からの視点で価値を再発見したり、手を加えたりする人がいていいと思うんです。
山井 守るだけだと、時代に合わせた継承ができなくなりますし。
佐藤 そう。子どもたちが「これおもしろい!」と言わない限り、未来にはつながらない。跳躍しながら太鼓を叩き、歌って気持ちが高ぶっていけば「この歌詞はどういう意味?」と興味も出てくるし、調べるほどのめりこめる。鹿子躍は昔の人がカッコよくしてくれました。このビジュアルは台湾、韓国、アメリカに呼ばれて踊ったときも反響が大きかったです。
カッコいいと思ってもらえることで
伝統芸能は一つ上に行ける
山井 ほんとカッコいいですよね。山で野生の鹿を見て動きを観察したりもするんですか?
佐藤 そういうのもやりますよ。跳躍の躍という字を使う団体は少なくて、「鹿のように跳ね上がらなくちゃ舞川らしくない」とみんな思っています。
山井 野生の感覚が「躍」の一文字に込められているんですね。野生の感覚って今、私がとても大切にしたいもので、人間が本来持っていた、感じる力とか、判断する力とかなんですけれども。
佐藤 鹿子躍を守ってきたお爺さんたちにその感覚、すごく感じます。昔の人は山から命をいただいて、生と死のつながりに感謝しながら踊っていたはず。うちに婿入りした旦那も、狩猟に行って鹿やヤマドリを獲るようになりました。最初に獲物を持って帰った時は、感謝して食べなきゃと自然と思えました。
山井 その感謝、まさに野生の感覚につながっていたんでしょうね。
佐藤 今回、スノーピークさんに鹿子躍をとりあげてもらえてよかった。カッコいいと思ってもらえるだけで、伝統芸能は一つ上に行けるんです。
山井 頑張ります。知るきっかけをつくるのは大事な役目だと思っています。
スノーピークだからこそ、
「着る」ということにも本質を見出したい
佐藤 私たちと京屋さん、最近は衣装の受発注だけの関係だったんです。あっちは町、こっちは山で遠く離れているから、メールもない昔はお互い何度も足を運んでいたはず。本当はもっと、きちんと話し合いたいと思っていました。そんな時にスノーピークが私たちと京屋さんをもう一度つなぎ直すきっかけをくれました。
山井 京屋さんは祭りの衣装を継承して、麻衣さんたちは鹿子躍という衣装の中身そのものを継承している。LOCAL WEAR IWATEがその橋渡しになれたとしたらすごくうれしいです。衣食住の中で、着るということは後回しになりがちだし、あまり深く考えることって少ないんですけど、スノーピークだからこそ、そこにちゃんと本質を見出していきたい。着るという価値の幅が広げられた気がします。素敵なお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。
取材協力:縦糸横糸合同会社
※このインタビューは「2020 Outdoor Lifestyle Catalog」に掲載した内容を転載したものです(情報は2019年12月末時点)