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STORY

隈研吾が語る「住箱」

隈研吾がずっとつくりたかった、
旅をする建築。
住むを自由にする箱「住箱」。

建築家としての
スタート地点は旅だった。

大学院2年のときにアフリカの建築を学ぶために、サハラ砂漠をクルマでずっと移動していたんです。屋根の上にガソリンタンクを積んで、時々給油しながら。眠くなったらその屋根の上で寝袋にくるまって寝たりして。想像以上に美しい砂漠の星空を眺めながら、こんなふうに故郷から遠く離れて移動しながら生きる、ディアスポラ的な人生って自分らしいな、なんて思っていました。その時の体験をベースに修士論文を書いたから、いわば建築家としての僕のスタート地点が旅なんです。

移動する建築というのが、僕にとっては
大きな挑戦。
そこで選択したのは
可能性あふれる木という素材。

今回、モバイルハウス「住箱」を設計する際、自分が何十年ぶりかにその原点に戻れた気がして、すごくやりがいを感じました。その間に少しは経験も積んだからこそ、木という素材でつくるという選択もできたわけですから、本当にいいタイミングでこの仕事ができたな、と感じています。

今回ベニヤの合板を採用したのは、軽さと強さを出すためです。移動する建築というのが、僕にとっては大きな挑戦なので、考え抜いて自信を持って選びました。木というからには、厚くて無垢じゃなくちゃ…と決めつけてしまうのはもったいない。木はもっと自由だし、可能性にあふれています。ベニヤには利点がたくさんあって、建築をもっと発展させてくれる素材だと思います。日本の法律も中層建築において木の合板を認める方向に進んでいるんです。木は最古でありながら、最もハイテクな建築素材。その両面があるからおもしろいんですよね。

日本人の住まいに、
移動を取り戻したい。

デザインで意識したのは、外の風景を主役にするということ。箱そのものがデコラティブにならないよう気をつけました。中に入って窓を開けると、高さを変えた大きな窓が、外の風景を額縁に入れたように見せてくれます。移動するたびに、その額縁の中身が変わる。

これは日本の茶室の発想ともつながります。小さな空間の中にある窓が、外にある様々なものを額縁のように切り取る。そうすることで小さな空間が世界に対する窓になり、新たな価値を生み出すと、当時の茶人たちは考えていました。実際に千利休の茶室などは、戦場で使われることもあったと言われています。薄い板を運び、組み立てたシンプルな構造だからそれができる。茶室の原点もまた、移動にあるのだと思うのです。江戸時代の人たちも、けっこう移動していたらしいですよ。参勤交代や、お伊勢参り。武士だけじゃなく、庶民も実は旅をしていた。現代ほどのスピードで移動することはなく、たいていはのんびり歩いていたはずだから、そのぶん自然とも深く関わっていたんじゃないでしょうか。

今は持ち家が当たり前になり、35年ローンを抱えてしまって旅をする余裕がなくなり、住むことがどんどん重たくなって、日本人が移動しにくくなっている。もう一度私たちの住まい方に、移動を取り戻さなければいけないと思いますね。

主役は自然、そして人。

この箱は新しいライフスタイルの提案であると同時に、日本の住宅に対する問題提起でもあります。自然を感じて、人間らしさを取り戻すというスノーピークの思想そのものでもある。「日本人の家って、本来こういうものだったんじゃないか」というメッセージを受け取ってもらえたらいいですね。事務所の若い連中も、すごく気に入っていますよ。D.I.Y.でキッチンにしたりバーにしたり寝室にしたり書斎にしたり、自由にカスタマイズを楽しんでほしいですね。様々な場所に置かれて、様々な使われ方をした住箱の写真をみんなで撮るようなプロジェクトもおもしろい。災害時だって、こういう箱に暮らせれば、ほんの少しポジティブになれるかもしれません。日本の文化に関心のある海外の人たちも、すごく興味を持ってくれるでしょうね。実は神楽坂に住箱をそのままレストランにしてしまった店があるのですが、ここ、本当に居心地がいいんですよ。料理も美味しく感じるし、隣の席の人とも自然に会話が生まれてしまうから僕も何度も通っています。まずはこの箱を体験してみて、ああ、欲しかったのはこれなんだ、と思っていただける人が、日本中にたくさんいるとうれしいですね。

隈研吾

隈研吾kengo kuma

建築家・東京大学教授。近作に根津美術館、浅草文化観光センター、長岡市役所アオーレ、歌舞伎座、ブザンソン芸術文化センター、FRACマルセイユ等があり、国内外で多数のプロジェクトが進行中。新国立競技場の設計にも携わる。著書は『小さな建築」(岩波新書)『建築家、走る』(新潮社)、『僕の場所』(大和書房)他、多数。