不便でもえらびたいもの

普段食べるお米は近所のお米屋さんに精米してもらい、届けてもらいます。野菜は愛知県南知多町から週1回届き、魚は近所の八百屋さんが取り扱う数種類の中から選びます。

正直、少し面倒です。

自分の仕事とお店の営業日や時間を合わせなくてはならないし、季節によっては受け取りも気を遣います。ネットや夜間営業のスーパーもある中、それでもその選択を続けるのは、美味しいという大前提ともうひとつ、“人から買っているという感覚”が落ち着くからです。

名前で住所をわかってもらえるお米屋さんと、毎週畑がどんな様子か知らせてくれる農家さんと、飼っている犬の種類を覚えてくれる八百屋さん。 食卓にはその背景にある顔が浮かびます。

たくさんの情報や不透明な経緯が多い現代で、ある意味贅沢だと思いますし、そうでないものに比べ、なんだか美味しい気がします。

キャンプにも家の食材をそのまま持って行くことが多く、いつもの美味しいご飯を違う環境で、自然の中で食べる。私にとってとても幸せな時間です。それとは逆に、その場でしか食べられないものを求めて良い生産者さんを探し、販売元に近い場所でキャンプ場を探す、というのも今後挑戦してみたいと思っています。

私は今、販売員として店舗に、選ばれる側に立っています。来てくださるお客様は“人”を大切にしている方が多く、そんな方達と過ごせることが楽しくて、またその土壌がある会社で働けることを誇りに思います。

そして、同じ未来・方向を見ている仲間が全国・世界にいます。それはまるで土地に根付く昔ながらの小さなお店のようなものだと感じています。色々な地域に日々を共有できる関係性があること。人と人との間でものが動く、それはとても単純で、古めかしくて、今難しいことだと思います。

私はそんなお店でありたいし、そんなお店を応援したい。買うという行為にそういう意味を持たせたいと思いながら、今日もここで働き、また食品だけでなく、洋服も、日用品も選択し続けています。みなさんも試しに、色々なモノを選ぶ基準に“人”を、“背景“を添えてみて下さい。

食べ物はより美味しく、洋服はよりお気に入りに、日用品はより大切に、少し変化して見えてきませんか?