What I Talk About When I Talk about MATSURI祭りについて語る時に私の語ること

岩手を訪れたLOCAL WEARが“つなぐ”
伝統、技術、人、地域、コミュニティ。

スノーピークの地元、新潟・佐渡で始まったLOCAL WEAR。次に訪れたのは、デザイナーを務めるスノーピーク代表取締役副社長 CDOの山井梨沙の第二のルーツである、岩手県でした。LOCAL WEAR IWATEを共に生み出した、岩手県一関市を拠点に伝統芸能の衣装を作り続けてきた京屋染物店で専務取締役を務める染物職人の蜂谷淳平さんと、その出産に到るまでの想いを語り合いました。

※肩書き含め記載の内容は掲載時点のものです。

LOCAL WEARを形づくる、偶然の巡り合わせ

梨沙
LOCAL WEARは、佐渡での奇跡的な巡り合わせで生まれたプロジェクトだったんです。最初は農業体験とかローカルと交流する体験みたいなのをくっつけてやろうとは、ぜんぜん思っていなくて。
 
たまたまの人のご縁で、あの“じじい”を紹介してもらって、やっぱりアパレルの産業だけじゃなくて、一次産業と言われる産業の多くが継承者不足に悩んでいることを実感したんです。それで「着る」と「働く」を結びつけるプロジェクトになっていったんです、佐渡は。
 
岩手もまさにそんな感じで、偶然の巡り合わせを繰り返しながら進んでいったんですよね。私が「裂織、裂織」って言ってたら、友だちがたまたま盛岡で裂織をやっている幸呼来 Japanさんを紹介してくれた。その時はまだ漠然と岩手でLOCAL WEARをやりたいってことくらいしか考えていなかったんですけど、初めて幸呼来さんへ行った時に淳平さんと出会って、色々とカタチが生まれていった。
 
佐渡はどちらかというと、伝統とか技術をどう継承していくのかにフォーカスしてたんですけど、淳平さんや幸呼来さんとお会いして、実際もう既にしっかりと技術継承をしている人たちがいるんだということを、今回はちゃんとお伝えしたいなと思ったんです。
蜂谷
京屋染物店は今年で創業101年になるんですけど、100年前は全国に1万4千社くらい染物屋があったそうなんです。印染めで、半纏なんかを作っているところがそれくらいあったんですけど、今は300社くらいまで減ってしまっているんです。
 
そんな中で親父が亡くなり、僕たちが継ぐようになって何をしてきたかっていうと、創業以来ずっと作り続けてきた伝統芸能やお祭りの衣装に特化すること。同じく周りでどんどん減り続けている縫製工場も自社内に持つことによって、そういった衣装を自分たちだけで作れるようにした。

祭りはずっと自分たちと近いところにあったし、今回のLOCAL WEAR IWATEでも大きなモチーフのひとつになっていますけど、鹿踊(ししおどり)など岩手には伝統芸能が二千近く残っていて。全国的にもそんな染物屋って珍しいので、ありがたいことにというか悲しいことにというか、今では全国の団体さんからお話を頂くことが増えてきました。

“こうやって伝統芸能や祭りとアウトドアが繋がって、カタチになっていくのを目の当たりにして、もの凄く刺激を受けました”

岩手で実感した、祭り、自然、日常の関係

蜂谷
祭り馬鹿みたいに祭り祭りと仕事していたら、どんどん季節労働みたいになってきちゃったんですよね(笑)。それで、比較的暇になる冬の間に何か安定期な事業を展開できないかと思っていた時に、共通の友人を通じてひょんなことから梨沙さんと出会い、LOCAL WEAR IWATEを一緒に作らせてもらうことになっていった。最初はどんなカタチになるのかまったく想像もできなかったですね。でも「これは面白そうだ!」と、まずは思いました。

こんなに自然が近くにある岩手で暮らしてきたので、そもそもアウトドアが大好きだったんですよね。しかも僕は持っているギアはほとんどスノーピークっていう大ファンだったので、一緒に仕事できるってことは、僕にとってはめちゃめちゃハッピーなことだったんです。ただ、自分がアウトドア好きってことと、祭りだったり染物っていうのがなかなか…。
梨沙
リンクしないですよね、普通は。
蜂谷
そうなんです(笑)。
でも、実際に一緒にやってみて、自分たちが更に次の世代に染物という文化を継承していくために模索してきた中で、こうやって伝統芸能や祭りとアウトドアが繋がって、カタチになっていくのを目の当たりにして、もの凄く刺激を受けました。

梨沙さんっていう外からの視点が入ることで、常日頃から触れてきた祭りの半纏や鯉口、東北地方の野良着としても知られる猿袴なんかの、近くにありすぎてわからなかった魅力や機能を掘り起こしてもらえて。それが本当に素敵な形状の、アパレルとしてクオリティの高いものになっていくっていうのは、逆に自分たちの仕事の価値や意義を気づかせてくれた気がします。

京屋染物店の工房。LOCAL WEAR IWATEのテキスタイルデザインをお願いした、画家の角田 純 氏の原画から起こした染めたての反物を乾燥させているところ。

梨沙
ローカルや地方と呼ばれるところって、たぶんすべての中心に自然があると思うんですよ。祭りは行事として認識されてるんですけど、遡ってみるとだいたいが自然から派生してるもので、自然崇拝が基になっているものだと思っていて。米の豊作を祈ってとか「一年でこんなに穫れました」みたいな感謝とか、動物とか自然の恵みに対する感謝や供養みたいな。
 
母親が育って私が生まれた岩手に、毎年夏休みがくるたびに通っていた私にとって、小さい頃から岩手の人と自然や祭りとの結びつきみたいなのは、無意識に感じていたんです。私としては岩手で祭りをアウトドアや自分のバックグラウンドの洋服と結びつけるということは、何も違和感無く、スーっと生まれてきた。
蜂谷
祭りってなにかこう、フェスティバル的な要素ってもちろんあるんですけど、梨沙さんが言うように、本当に自分が住む日常の中の一部なんですね。鹿踊にしても、獣を獲って食べて、それを人が供養するけど、それを食べてた人も結局死んで草木の栄養になって、自然に還っていく。だから鹿が逆に人を弔うっていう意味もある。そんな哲学も、伝統芸能を通じて継承しているんです。
 
それから、僕たちの地元・一関は川の氾濫とか水害が多い地域なんですけど、その鎮魂だったりとか逆にそれがもたらす豊かな土壌に対する感謝だったりする祭りが代々伝わっていて。やっぱそこには川っていう、抗えないものであり、恩恵をもたらしてくれるものである自然への畏怖や感謝がある。自然っていうのは、祭りにとってやっぱり欠かせないものなんだなと、改めて思いますね。
梨沙
工芸だけじゃなく、しっかり祭りの意義も継承されてるじゃないですか。

“LOCAL WEAR IWATEは、祭りを通じて人と自然、人と地域、人と伝統、人と技術を「つなぐ」ものなのになっていけばいいと思う”

継承するということ

梨沙
以前、淳平さんに鹿踊の稽古場に連れていってもらった時に、台本みたいなのが紙で残されていたんです。伝統芸能って、口で直接伝える口伝・口承がマジョリティで、書物とか絵とかで残しちゃうと解釈が変わってしまったりとかあるじゃないですか。だけど、それもある意味解釈の仕方で、紙とかで残ってるからこそ、いろんな流派の人たちが受け継ぎ、地域ごとのカタチを保ちながら、鹿踊の文化が定着していったのかもしれない。そういう割り切りっていうのは、継承には必要なことなんじゃないかなって鹿踊から学ぶことができたと思います。
蜂谷
祭りの魅力も、文化継承やコミュニティを作るっていうところにあると思うんです。衣装に使われる和柄なんかにも意味があって、そういう本質的なところを、今回スノーピークさんがしっかりと抽出してくれて、しかもそれをファッション的な感覚にも結びつけてくれた。
 
龍の絵とか、竹の子族みたいな衣装とか、なんだか最近の競技会みたいな、とってつけたような祭りには、どことなくヤンキー臭が漂ってくることがあるじゃないですか?それを今回はこんなにオシャレに落とし込んでくれて、すごくありがたいなって思っています。それによって、祭りのもっと本質的な部分に気づいてくれる若い子とかが増えてくれといいですよね。
 
伝統工芸もまた然りで、どうやって継承・継続させていくのか、改めて考えるよい機会になりました。岩手県南地域の伝統工芸やクラフトの担い手たちなんかが集まって五感市という活動を続けているんですけど、行政に頼っても意味がないし、危機感を持った仲間たちがまず自分たちで動いて。短期的に収益を上げることが目的ではなく、長期的なビジョンに立って、コミュニティや想いを共有できる人がいる、豊かな地域を自分たちの手で作っていくことが目的。そこに集まる仲間の根っこには、やっぱり地元が好きだっていう想いがあるんですよね。
梨沙
今、自然に「豊か」っていう言葉が出てきましたけど、それって生きていく上でいちばん大事なことかもしれないです。
蜂谷
経済的なものも入ってないと意味ないですし、経済的なものだけでも豊かにはなれないですよね。キャンプもそうだと思うんですけど、日々の暮らしのことを改めて丁寧に振り返ってみるようなことって、お金で買えることかもしれないけど、実際にやることでしか得られないものもあるし、そうやって価値観は変わっていくのかなと思う。
梨沙
そうなんですよね。でも、ハイパーな資本主義経済の中で、ビジュアル的な豪華絢爛なものが豊かなものとされてる側面がまだまだあって。私がスノーピークでいちばんやりたいのは、「ラグジュアリー」の定義を変えること。我々が認識している「豊かさ」=「ラグシュアリー」っていう言葉に置き換えるべきかはまだわかんないんですけど、原始的で本質的な豊かさの意味を考えていくのが、自分がやるべきことなんじゃないかと思うんですよね。

父の闘病中に蜂谷さん親子で手掛けた地元一関の「行山流舞川鹿踊」の衣装。病院と行き来しながら手掛けたこの衣装は、父にとっては最後の、蜂谷さんにとっては最初の衣装となった。同団体は、LOCAL WEAR IWATEのモデルも務めた。

祭りが「つなぐ」もの

蜂谷
“祭り男”なのでまた話が祭りに戻っちゃうんですけど(笑)、五感市をやっているメンバーも、地元の祭りが縁で親や祖父の代から繋がっている仲間も多い。小ちゃい頃から祭りに参加してて、何か悪いことすると、他の親からむちゃむちゃ怒られたりとかあったんです。だけど、すっごい可愛がられたりとかもしてるんですよ。

この地域に対して、親たちが自分たちの世代に残そうとしてくれた想いだったりアイデンティティが、祭りを通して伝わってくるんですよね。だからそれがやっぱり、この地域を盛り上げて、次に引き継ぎたいっていう、そういう思いが考えなくても勝手に出てくる。やっぱり祭りってのがあるからだなって思ってるんですよ。
梨沙
やっぱり祭りは、繋いでくれてるわけですね。LOCAL WEAR IWATEは、そんな色々なものとの繋がりを、しっかりと日常に落とし込むものになってくれるといいですね。もちろん、今回も一関で「LOCAL WEAR TOURISM」を開催する予定なんですけど、実際に足を運んでみて、祭りや工芸に触れて、それを繋げていってもらえたら嬉しいです。
蜂谷
祭りって昔は人もいて、地元の町会の人たちだけで成り立っていたんですけど、今はもうどんどん人が少なくなって、「継なぐ」ことを考えると、地元だけじゃなく共感してくれる人たちがいないといけない。僕たちも、祭りの在り方を模索してるとこなんですよ。そこにツーリズムだったりとかで、外の人たちにも触れてもらったり、関わってもらう機会ってのがすごく大事だなと思っていて。キャンパーにも通じることだと思うんですけど、その空気感とか体験とか、祭りには特に重要なところだと思うんですよね。
梨沙
新潟も然り、東京だって然り。祭りが作るコミュニティってそれぞれの地域にあって、同じような価値観を共有する人達のコミュニティが点在しているっていうのを「繋げる」っていう意味も、一関での LOCAL WEAR TOURISM に関しては強いのかな。LOCAL WEAR IWATE は、祭りを通じて人と自然、人と地域、人と伝統、人と技術を「つなぐ」ものなのになっていけばいいと思う。

一緒に神輿、担ぎますか!
蜂谷
担ぎましょう!

蜂谷淳平
はちや・じゅんぺい/株式会社 京屋染物店専務代表取締役。1982年岩手県一関市生まれ。東北芸術工科大学在学時より、藍染Tシャツの制作・販売を手掛ける。大学卒業後、高校の美術教師などを経て、京屋染物店へ入社。2009年に先代が急逝した後、社長を務める兄・悠介氏と共に本格的に経営に携わる一方、父から引き継ぎきれなかった技術を全国の染物職人の門戸を叩き、習得していった。祭りに特化した事業を展開する中で、東日本大震災を経験。改めて祭りの持つ力を実感し、それを「つなぐ」ために日々邁進中。その一環として、2019年7月に自社ブランドを立ち上げる。

photography:Wataru Homma、Hideyasu Takizawa(Snow Peak)
edit&text : Kei Sato (祭り法人 射的)