【開発秘話】 from Snow Peakギガパワーストーブ地

Prologue

1980年代、アウトドア=不自由を楽しむという風潮があった時代、スノーピークが提唱したのは大自然の中で快適に過ごし、家族や友人と豊かな時間を共有できるキャンプの形だった。

キャンパー自らがサイトを快適にレイアウトするという「概念」を提唱し、「焚火台」、「鍛造性ペグ」など、キャンパーだから生み出せる革新的な野遊び道具はやがて、世の中の“STANDARD”になった。

それらの製品はどのようにして生まれたのか?今回紹介するのは、1998年から世界中のバックパッカーに愛され続ける名作「ギガパワーストーブ地」の開発秘話。

◇ギガパワーストーブ地とは。

スノーピーク初の燃焼器具として、1998年にリリースされたギガパワーストーブ地。世界最小、最軽量、最コンパクトという3冠を手にし、1999年にはEDITOR’S CHOICEを受賞。

さらに2015年には、5年以上に渡り最高のパフォーマンスを維持したアイテムに与えられるUSAアウトドア専門バックパッカー誌の「EDITOR’S CHOICE GOLD 2015」という特別な賞も受賞した。

誰にでも簡単に扱えて、信頼できる性能と耐久性、そして機能美を持つギガパワーストーブ地は、現在も世界中のユーザーに愛用され続けるスノーピークの名作だ。

そんなギガパワーストーブ地が生まれた背景にある、圧倒的な情熱のストーリーをご紹介しよう。

◇開発者の新たな挑戦のはじまり。

「初めてテントに寝たときと同じぐらい、初めて買ったストーブでコーヒーを沸かし、飲んだときの感動は忘れられない」。

現会長・山井太の長年に渡る思いを受けて、オリジナルの燃焼器具を開発しようと動き出したのは1996年のこと。スノーピークにとって、燃焼器具の設計は、当時は未知のジャンルだった。

また、海外ではバックパッカー用の燃焼器具の歴史が長く、名品と言われるものが数多く存在したため、当時は国内のメーカーによる新商品の開発は前例がなかった。

◇胸のポケットに入る小さなストーブが欲しい。

「せっかくなら世界で最も小さくて最も軽いものをつくりたい」。
「持っていることを忘れるほど軽く、胸ポケットに入るほど小さなストーブが欲しい」。

それは単なる軽量化競争に勝つことだけを意味するのではない。バックパッカーは極限まで荷を削り、ホチキスのピンでさえ外して持っていく。開発者自らも単独行の厳しさを経験してきたバックパッカーとして、絶対に譲れないこだわりだった。

模倣ではなく、常に新しい提案をしてきたスノーピークの開発者として、意地をかけた挑戦が静かに始まった。

◇開発室にこもり繰り返された実験と検証。

ストーブの開発は社内に対しても極秘で行われた。全貌を把握しているのは、社長を含めて3名。開発者は、社員が帰宅したあとに開発室にこもり、他社のストーブを幾つも分解して、その構造を突き詰めた。プロトタイプをつくっては、何度も実験に失敗。

しかも厳しいガスの検査基準をパスしなければならない。来る日も来る日も夜を徹して検証が行われた。

着火するためには、混合管の中で噴出するガスと空気を一定量混ぜあわせる必要がある。そのためには、混合管に一定の高さ(距離)を持たせる方法が一般的だった。

しかし、ギガパワーストーブ地の混合管は異常に短い。

通常これだけ短いとガスと空気は混ざらずに流出してしまうため、着火しない。そこで、開発者は噴出するガスの先にカップのような半円状の部品を開発し取り付けた。

ガスは一度半円のカップにぶつかり、回り込むため、複雑な流れが生まれた。ガスと空気が混ざりあうための距離と時間を確保することに成功したのだ。

◇鮮烈なデビューを果たす。

不眠不休の開発プロジェクトから、世界を驚かす機能(特許取得済)が生まれた瞬間だった。

ついに完成したギガパワーストーブ地は、1998年の春にリリースされた。世界最小、最軽量、最コンパクトを実現したギガパワーストーブ地に対する日本国内のユーザーの評価は予想以上に高いものだった。

◇世界のアウトドアメーカーが集う展示会に出展。

「今度はこのストーブを本場アメリカで試してみたい」。国内での高評価に後押しされ、開発者の想いは、バックパッカー発祥の地・アメリカへと向かっていた。

1998年8月、困難を極めた出品交渉の末にアメリカ合衆国ユタ州のソルトレイクシティーで行われたORショー(アウトドア・リテーラー・ショー)に参加する権利を得たのだ。

ORショー出品への道のりは、非常に険しいものだった。開催3ヶ月前から交渉していたものの、日本のメーカーが急遽出店するのはとても難しく、ようやく出品の許可が下りたのは開催1週間前。

スタッフは、慌てて日本から製品とギガパワーガスを持って現地へと向かった。しかし、国際線でのガスカートリッジの空輸は可能だが、当時のアメリカの国内線の飛行機では、貨物専門のエアーも含めて全線空輸禁止だった。

しかしこのチャンスを逃すわけにはいかない。

オレゴン州ポートランドからユタ州ソルトレイクシティーまで、車で夜通し走らせて何とか開催に間に合わせた。分厚いアウトドアの歴史を持つアメリカという国に、当時、日本のメーカーが入り込むのは並大抵のことではなかった。

スノーピークに与えられたのは、ブース間口わずか1mに満たないスペース。しかし、このORショーで、ギガパワーストーブ地は鮮烈なデビューを果たすことになる。

◇ブース間口わずか1mに満たないスペースでの快挙。

初参加の1998年、ORショーの主催者が期間中に発行するデイリーエキスプロージャー誌で“今回のショーで最も話題になった商品”としてギガパワーストーブ地が紹介され、ギガパワーストーブ地は、瞬く間に会場中の話題を独占した。

受賞後にはスノーピークの展示ブースに世界中のショップ、バイヤー、プレス関係者たちが押し寄せ、展示された製品を見て多くの人が口を揃えていった。

「ミニチュアはいいから、早く実物を見せてくれ。」彼らは目の前のミニチュアだと思っていたものに火が灯された瞬間に、言葉を失った。

そして彼らの第一声は「信じられないほど軽くて小さい…」。その姿を見て、現地にいたスノーピークのスタッフは、ギガパワーストーブ地の商品価値の高さを再認識せざるを得なかったという。

イベント3日目からは、多くのメーカーの社長や設計者たちがブースに押しかけて大混雑となった。

アメリカ人にとって、アウトドアで生活することは決して特別なことではなく、もはや個人のライフワークだ。そんな目の肥えた選択眼の鋭い彼らに、ギガパワーストーブ地の価値を認めさせたことは、快挙と言わざるを得ない。

そしてそれはスノーピークにとって大きな自信となり、改めて積極的な製品開発の重要性を感じたできごとでもあったのだ。

Epilogue

いかがでしたでしょうか。スノーピークが日本のキャンプ文化を築き「不便」を「快適」に変えた理由。それは、自然と人、人と人の豊かな時間を創りたいから。キャンパーだから生み出せる革新的な野遊び道具はやがて、世の中の“STANDARD”になる。