LOCAL WEAR TOURISM in SADO佐渡島は神さまが住まう島だった。星と鬼と棚田と。

「牡蠣が食べられるか、見てあげるよ。ちょっと待っててね」

ぼくは10歳の友達のマー坊と、すぐ近くの湖の浜で牡蠣を拾っていた。目の前の世界が美しい夕焼けに染まりはじめたころ、突然脇から現れた謎のおじいさん。ゆっくり歩いてきてそう一言残すと、すぐ側の倉庫の中に消えていった。

マー坊はあいかわらず夢中で牡蠣を拾い集めている。時には長い棒を使って、がむしゃらに岩にへばりついた牡蠣を狙う。少し先の道端にお母さんが通りかかった。

「もうご飯だよ。18時半だからね。もう戻っておいで」

チラッと時間を確認すると、あと15分ある。大丈夫。マー坊と一緒におじいさんを待つことにした。

しばらくすると、おじいさんはハンマーを持ってやってきた。中身を見て食べられるかどうか、すぐに確認してくれるという。

端っこをカチカチと5回ほど叩いて割り、ガリッと両手で殻をこじ開けると、プリプリな身をした牡蠣が顔を出した。

「これは食べられるね。おいしそうだ」

こんなところでいい牡蠣をよく見つけたね、とマー坊に感心しながら、すぐに海水で洗って見せてくれた。たしかにおいしそうだ。

他も次々と割って食べられそうなものだけを選んで、食べ方まで教えてくれた。見知らぬ観光客なのに、なぜこんなに親切なのだろうか。感謝を伝えて握手を交わし、ぼくたちのキャンプ会場を伝えて別れを告げると、おじいさんは照れ臭そうにどこかへ消えていった。

その夜、デンマークから来たトップシェフ Allan Haunstrup (アラン・ハウンストロップ)によるスペシャルディナーがはじまるころ、おじいさんは再びふらっと現れた。そしてまた姿を消し、最後のデザートのときにまた遊びに来てくれた。

マー坊は今回のSnow Peakとアランのコラボレーションをプロデュースした「The Inoue Brothers...」の兄・聡さんの2番目の息子だ。井上兄弟はどんなときもその場にいる人を全員受け入れて、一人残らず楽しませようとする。きっとふたりならおじいちゃんをすぐにもてなすだろう。

そうおもってすぐに椅子を用意し、聡さんに頼んでデザートを渡そうとすると「お金を払ってないから」と遠慮しながらも「いえいえ、余っているのでどうぞ」と手渡すと、「こんなものを食べるのは生まれて初めてだ」とうれしそうに頬張りついた。

その後、佐渡島の伝統的な鬼舞台も一緒に観賞し、お酒を飲んでいい気分に浸っていたころ、おじいさんはまた気づかぬ間にいなくなっていた。

その夜、満点の星空が途方もなく美しかった。ボーッと空を見上げて暗闇の中に浮かぶ星の光を眺めていた。

「あの星たちには神さまがいる気がする」

深い意味はなかったが、なんとなくそうおもえた。人生ではじめての感覚。考えてみれば、星の光は遠い過去からやってきた光だ。地球に最も近いと言われているケンタウロスα星までの距離ですら約4.4光年。つまり、いまぼくたちの目に映るのは4.4年前の姿。アンドロメダ星雲は、100万光年離れているから100万年前の姿を見ていることになる。そんな悠久の時に想いを馳せると、星々に神さまが宿っていても、不思議でもないように感じられた。

佐渡島は神さまが住まう島だった。

満点の夜空を見たのは5月下旬の新潟県・佐渡島。神さまの気配を感じたのは、神社の境内でキャンプをしていたからかもしれない。

あのとき感じた何かを「神さま」と呼ぶのが正しいのか、正直わからない。神秘的で、幻想的で、美しくて、だけど目に見えなくて繊細な何か。昔の日本人ならば「八百万の神」と言ったのかもしれない。

夕食後に鑑賞した佐渡の伝統芸能の鬼太鼓を見ているときも、ぼくは神さまをまざまざと感じた。能舞台の上で太鼓の音とともに獅子と鬼が舞う。悪魔を払い豊年を祈る神事だそうだが、そんな意味を知らずとも、独特な雰囲気の中で何かを感じとった。

次の日、ぼくたちは棚田に向かった。戦後から継承され、いまも生きつづけている数少ない棚田。上から見下ろすと、何年もかけて築き上げられた棚田が入り組み、その先に日本海が広がる光景は圧巻だった。

棚田は山の斜面で土を掘り出し、平たい土地をつくり水を張って田んぼにし、里山で生きるための貴重な食糧を生み出す。さらに、棚田はダムのように保水機能を持ち、平野に住む人々に清らかな水を供給する。しかもこの棚田は、すべて湧き水だけで耕作されているというのだから、凄まじい保水力である。

ただし、棚田は一度つくると永久に人間が手入れしつづけなければならないのも事実。でもそのおかげで多様な生態系が育まれ、土砂崩れも防いでいる。棚田は自然と人間が生かされてあって成り立つ、共生の象徴ともいえる。

田植えを終え、現地の農家さんたちが振る舞ってくれた昼食を食べたあと、車で帰路に着く途中。棚田に張られた水面が太陽の光を反射してキラキラと輝く光景に目を奪われた。「もしかしたらここにも」と、神さまの存在を感じたような気がした。

「神さまは自然に宿っているんだよ」

そういえばこの前、聡さんがマー坊にそんなことを教えていた。星の光も棚田も、五穀豊穣を祈る鬼太鼓も、すべて自然とつながっている。聡さんの言葉がスッと腹落ちした。

星と棚田と鬼太鼓には、もう一つの共通点があった。長い年月がかかっているということ。時には何万年の時を経て地球にたどり着く星の光。約500年前から継承されている鬼太鼓。何世代にもわたってつくり上げられた棚田の景観。気が遠くなるような時を経て続くものに神さまは宿るのかもしれない。

英語には「Living on giant’s shoulder」という言葉がある。巨人の肩の上に立つ。ぼくたちは先人が連綿と積み上げてきた歴史の上に、ちょこんと立っているだけのちっぽけな存在。普段住んでいる家も、使っているお金も、食べ物も、言葉や考え方も、みんな先人が生み出し、育んできたもの。

人は生まれて何かを生み出して死ぬ。襷を受け取るように、次の人は先人に影響されてまた何かを生み出す。そうやって脈々と襷は受け継がれていく。想像するだけで、とてつもない感謝と尊敬の念が込み上げてきて、心が激しく揺り動かされる。そして、そうやって積み重ねられてきたものを、人は「文化」と呼ぶのだろう。だから自然だけでなく、文化にも神さまが宿っているのかもしれない。

神さまは自然に宿っている。
そして、文化にも神さまは生きている。

人懐っこくぼくたちを楽しませてくれたおじいさん。「佐渡島は季節ごとにいろんな表情を見せてくれるからまた来てね。次は船を出してたくさん魚や貝をたくさん取ろう」と誘ってくれた。佐渡の大自然の中で年を重ねたおじいさんの手の温もりが蘇ってくる。

「おじいさんももしかしたら神さまだったのかもしれない」

不意にそうおもった。本当にそうおもえてしまった。神秘的で、幻想的で、美しくて、だけど目に見えなくて繊細な何か。

神さまの住まう島、佐渡島。唯一の心残りは、最後のお別れのあいさつができなかったこと。でも、もしかしたら次の再会のためなのかもしれない。そしたら次は神さまの話を聞かせてほしいな。

べっぷ・たいが/1992年生まれ、イギリス育ち。学生時代にコペンハーゲン留学中、デンマークインタビューメディア「EPOCH MAKERS」を立ち上げ、編集長として活動を続ける。雑誌「Discover Japan」のデジタル・クリエイティブディレクターを務める他、ブランディングを軸に、コピーライティングやウェブディレクション、グローバルマーケティングも手がける。