根源にある野生のつながりをたどる旅 ~秋田編~秋田に根を張る人類学者と語り合った、人間が取り戻すべき野生の話。

「野生」について思いを巡らせていた頃、手に取った本のタイトルがまさに『野生めぐり』でした。日本列島を北へ南へ、12の土地の神話をたどる旅をしながら書かれた本で、私に教えてくれたのは石倉さんとともに旅をした写真家の田附勝さん。石倉さんが最初に案内してくれたのは、畑の中に立つ巨大な藁人形「ショウキサマ」。あえて朽ちやすい藁でつくられた、腐る神様です。住民たちに何度もつくり直されることで、目に見えない大切なものが過去から未来へ継承されているのだと感じました。対談した場所は、不思議な姿の社殿「天日宮」を持つ唐松神社。言葉にならないチカラを感じる場所で、キャンプの持つチカラの、大きなヒントをいただきました。

●お話を伺った方
秋田公立美術大学
准教授 石倉敏明さん

Profile
1974年東京都生まれ。芸術人類学・神話学を研究する人類学者。秋田公立美術大学准教授(アーツ&ルーツ専攻)。明治大学野生の科学研究所研究員。近著は『野生めぐり:列島神話の源流に触れる12の旅』(淡交社)。

●聞き手
株式会社スノーピーク
代表取締役社長
山井梨沙

何かがおかしい、と感じられる野生の感覚が失われている

山井  石倉先生のご著書『野生めぐり』を読ませていただきました。いま私が気になっている言葉も「野生」なんです。人間が本来持っていた野生の感覚が、キャンプで取り戻せると信じています。野生というキーワードについて、今日はお話しできればと思うのですが。

石倉  僕の専門である人類学もまさにそれを問う学問です。東日本大震災以降、当たり前だと思っていた電気や食べ物、道路について疑問が浮かび、慣れきった生活から一歩外に出るならどこかを考えながら、写真家の田附勝さんと旅を始めたのが「野生めぐり」という本です。最初に訪れたのは青梅の武蔵御嶽神社と秩父の三峯神社という狼の神社。外国では狼は赤ずきんちゃんを食べようとする恐ろしい存在でしたが、日本ではオイヌサマと呼んで犬と野生の狼を区別しなかった。日本人の哲学が山に残されている!と興奮したのを覚えています。

山井  とてもおもしろく読みました。私はアパレル出身ですが、とてつもなく無駄が多いアパレル業界に疑問を感じています。今の世の中は頭で考えた正解ばかり探す世の中になっていて、何かがおかしい、と感じられる野生の感覚が失われかけているんじゃないでしょうか。

石倉  人類が野生を失ったのは、家畜化がきっかけです。もともと旧石器時代の人間は何万年もの間、キャンプのような生活をしていました。1万年ほど前に定住革命が起こり、野菜や植物を栽培し、動物を家畜化する生活が始まったのです。つまり村や街より、キャンプのような生活の方がずっと先にあった。そこには自然の中に住まわせてもらうという謙虚さがありました。定住が当たり前の僕らが、その謙虚さを取り戻すことも、野生の感覚につながるかもしれませんね。

動物や植物にも「人間性」がある

山井  なるほど、スノーピークが目指す「人間性の回復」の人間性は、何万年もかけて育まれたんですね。

石倉  はい。例えばアメリカインディアンや、ヒマラヤ先住民の考え方だと、人間性は人間の中にあるのではなく、動物や植物にもあります。あらゆる自然の中に人間性がある。

山井  すごい話ですね!

石倉  子どもって絵本でライオンや熊が人間と話し合うのを自然に受け入れますよね。かつてはそうやって人間と動物がコミュニケーションできていた。動物の考えを感じとれないと人間は生き残れませんでしたから。秋田の猟師たちには、子育て中の動物は獲らないというルールがある。それは動物にも人間性を感じているからです。野生の自然と人間性は、対立しないんですよ。

山井  そうか、対立しないんだ。自然の中にも人間性がある……。とても腑に落ちるお話です。

野生の感覚がある人は、
無駄な経験をしながら見つけた選択肢をたくさん持っている

石倉  野生の感覚がある人って、無駄な経験をしながら見つけた選択肢をたくさん持っていますよね。何かができなくなってもいいように、いくつも迂回路を持っています。

山井  本当にそう。無駄な経験って大切ですよね。キャンプも車で遠くまで行き、テントを建てるにも時間がかかる。いくらでも便利にできるのにあえて非効率にやることで、人は元気になるんです。キャンプと日常生活で最も違うのは、焚火です。人間が火を囲む行為に、野生につながる何かがあるのでは、とずっと気になっているのですが……。

石倉  火を見つめるだけで心が満たされる。この感覚は何十万年という人類の進化の歴史から来ているとしか言いようがありません。人間はジャガーから火を盗んだという神話もあるんですが、火は人間の進化にとって決定的な重要性を持っています。それまでは生肉を食べたり、硬い実を石器で柔らかくして食べたりするしかなかった。つまり腸が大きくないと消化できなかった。火で食材が食べやすくなり、腸が使うエネルギーを脳に回すことができた。火のおかげで人間は脳を大きくできたんですよ。

山井  そうだったんだ! やはり人間性と火は深くつながっていたんですね。

石倉  ええ。でも戦争やテロに使われるのも火。表裏一体の二面性を持っています。キャンプで子どもに火の恐ろしさとありがたさを教えることは、切り離せない大切なことです。

山井  なるほど。スノーピークでも焚火を囲んで語り合う時間を大事にしています。お客様と社員とで焚火を囲むとつながりが強くなるし、焚火をずっと見つめていると、気まずい感じがしないんですよね。

石倉  火に見入ってしまうのは、輝いたり、熱を持ったり、揺らいだり、消えたり、生命のように常に火が変化しているからでしょうね。日本には「ヒジリ(聖)」という古い言葉があります。つまり「ヒ(火=日)を知る人」です。火の熾し方や太陽の運行を知っていることは、生命や世界の秘密を知っていることだったんですよ。

山井  もしかすると火も人間性を持っているかもしれませんね。

女性が持つ「循環」の知恵を見直していくべき

山井  そういえばここに来る前、岩手を旅してきました。母の故郷で、小さな頃に私もよく訪れた土地で「LOCAL WEAR IWATE」という取り組みをしました。創業者である祖父や父からの流れはもちろん、母から受け継いだものも私は意識したいと思うんです。

石倉  なるほど。偶然ですが我々がいるこの唐松神社は、女性の一生をつかさどる神社です。

石倉  ヨーロッパの民話だと料理女、洗濯女、掃除女という女たちが重要な存在なんです。どれも人間の生活を根本から支えていますよね。料理は命を大切にすることだし、洗濯やゴミを出さないことは、ものを無駄にしないこと。これらの知恵はすべて循環と関係しています。けれど循環の知恵を持つ女性は魔女と呼ばれて、ヨーロッパでは蔑まれてきました。男たちには怖かったんでしょうね。これからはその知恵をもう一度見直していくべき。リアルな世界に地に足つけて生きる女性の知恵は本当に大事です。

山井  女性の方が自然に近い存在として、これからは大切な役目を担うのでしょうか。

石倉  例えば子安観音という赤ちゃんを抱っこした像のように、子を育てる母の神様は環太平洋にぐるっと存在していて、キリスト教以前からあったんです。子どもを抱っこするイメージが「ケアすることの意義」を教えてくれたんでしょうね。それは子どもだけでなく、自然へのケアでもあった。現代のお母さんたちが、子どもたちを連れてキャンプに行くイメージと重なります。

一人で子どもを育てるんじゃなくて、みんなで育てる「アロマザリング」という流れが注目されています。沖縄の多良間島では、お母さん以外にも「守姉(ムリネエ)」と呼ばれる人が育てていました。ボルネオのプナン族もみんなで育てています。キャンプでも自然と、みんなでみんなの子どもを見るようになりますよね。

山井  なりますね。そういう生活って人間的です。

キャンプで「ライフ」そのものになる

山井  お話をお聞きしていて、火のようにプラスの面とマイナスの面が表裏一体なものって、実はすごく人間的なんだという発想が芽生えました。移住をしながらさまざまな環境に合わせて生活していた祖先たちの記憶を追体験しつつ、文明生活に戻った時に改めてその素晴らしさに気づける。そういう表裏一体の感覚も、キャンプの魅力なんです。

石倉  たまにキャンプに行って謙虚になることが、やっぱりすごく大事なんじゃないかと思います。自然はやさしいだけじゃなくて、恐ろしいものだということを忘れないためにも。

山井  生きるためにキャンプをする、というような感覚でしょうか。

石倉  まさにそう。ライフスタイルを超えて、ライフ=生命そのものになるキャンプ。田舎のお爺さん、お婆さんのカッコよさってスタイルじゃない。ライフとしてカッコいい。21世紀のキャンプはそうなっていくんじゃないかな。

山井  ライフそのものになるって、めちゃくちゃいいですね。スノーピークがある燕三条は金属加工業がさかんで、豊かな自然にも恵まれています。その土地で地場の技術を自分たちが欲しいものに変えてきました。これからは日本各地の土地で何かできないかと考えています。地方には都市の価値観に収まらない魅力があり、人間性のある生き方をする人がたくさんいます。そういう人たちと直接つながるものづくりや体験づくりを始めています。日本のライフに近づきたい。まさにその感覚を、石倉先生に言葉にしていただけました。

石倉  それはよかった。今、秋田の美大でアーツ&ルーツという専攻にいるんです。アーツとは人工的で人間がつくりだすもの。ルーツは地元にあるものを見てみようという考え方。これからのクリエイティブは、自分の足元から根っこを生やして吸い上げていくことも大事ですよね。

山井  学生さんたちの根っこを、秋田の土地に広げているんですね。地方には継承されずに消滅している文化や技術がたくさんあって、何とかしたいと私もずっと考えていたんです。それで生活の中に野生の感覚を取り戻すべきという仮説にたどりつきました。
誰もが自分だけ一人勝ちしたいという欲が肥大しすぎて、野生の感覚が麻痺してしまい、優先順位がわからなくなってきている。キャンプでその感覚を取り戻せたら「いいものだから継承しなくちゃ」という意義や行動につながるはず。岩手の鹿踊りとか、秋田のショウキサマとか、みんなで繰り返し踊ったり、つくり直すことで継承している目に見えない大切なものに気づく若い人も、増えている気がするんです。

「生きるとは何か」を深く考えるきっかけに

石倉  僕の子ども時代は、大量生産、大量消費を誰もが当たり前だと思っていました。でも今のキャンプは単なる消費ではなく、自然の中で遊びながら人の営みを行うことで「生きるとは何か」と深く考えるきっかけになっている。僕はそこにすごく共感します。20世紀型文明が飽和状態に達して、次にどうリアクションするかが問われています。スノーピークがローカルな燕三条という土地で、遊びと労働と人生を分けることなく提案しているのは、画期的な野生の継承の仕方だと思うんです。本当に贅沢ですよね、キャンプって。

山井  とても贅沢です。豊かさの定義をスノーピークで変えたいと本気で思っています。今の経済の常識でラグジュアリーとされているものに替わって、自然とともに生きてきた豊かさを新しいラグジュアリーとして次の時代につなげたいんですよね。

石倉  僕が美術大学にいるのは、芸能もまた時代の中である程度は廃れるとしても、また新たに始めることもできるはずだと思うからです。衣食住のすべてに関わっているスノーピークと、ローカルでの文化の創造とは何かを、一緒に考えていけたらいいですよね。

山井  自然そのものを事業としているからこそ、スノーピークにできることはたくさんあると思うので、ぜひ一緒にやっていきたいです。今日は本当にありがとうございました。

※このインタビューは「2020 Outdoor Lifestyle Catalog」に掲載した内容を転載したものです(情報は2019年12月末時点)