ジェリー・ガルシア、神社、自然崇拝、登拝

神社を愛してやまない僕は、同時にいわゆる“DEAD HEADS”でもある。そして旅人だし、ビジネスマンでもあると自覚している。住まいは東京だが、1ヵ月のうち自宅のベッドで寝るのは1週間程度で、あとは日本各地を移動しながら生きている。

その暮らしの根底にはアメリカのロックバンドであるGRATEFUL DEADの影響をふんだんに受けていて、僕のように、1960年代のアメリカでヒッピーカルチャーとともに生まれたこのライブバンドの魅力に取り憑かれたファンたちのことを、親しみと愛情を込めて“DEAD HEADS”と呼ぶのだが、そのバンドのリーダーであったジェリー・ガルシア(’95年没)が、音楽を通して言い続けていた言葉がある。

「楽しむことだ」

このシンプルこの上ない言葉が、僕の人生の指針になっていることは間違いなく、「自分が何者で、何のために生きているのか」を考えるきっかけになった。そんなことを考えながら世界を放浪する旅に出た僕は、ひとつの答えに辿り着いた。それは「僕は日本人なんだ」というごく当たり前のこと。外から眺め、日本という国の魅力や自身の足元にようやく気がついた僕は、帰国後、ひとりで日本中を巡ることにした。

すると、どんな地方、村、集落にも当然のようにいくつもの神社があることに気がついた。

驚いたのは、その多さもさることながら、「その神社に誰が祀られているのか?」「どうしてそこに祀られるようになったのか?」という、本来何よりも大切な理由を、多くの人がまったく気にしていないことだった。

幼い頃に神社の境内で遊んだことがある人は、かなり多いはずだ。僕もそのひとりで、地元の神社の境内は、街のど真ん中にも関わらず深い緑に囲まれたとっておきの遊び場だった。そして七五三、祭り、初詣と、日本に暮らす多くの人と同じように、大人になっても神社は常に近しい存在であり、生活の一部としてあり続けている。にも関わらず、幼い頃から、僕自身よく遊んだ「あの神社」に祀られている神様について、何も知らなかった。

日本を巡ると、たくさんの神様との出会いがあった。以来、暇を見つけては各地の神社を巡り、気がつくと関連文献を読み漁る日々。触れれば触れるほど、知れば知るほど、イメージしていた宗教的なものとは全く別の部分でその魅力にどっぷり魅了され、いつの間にか僕の心の中で大きな部分を占めるに至っている。

日本津々浦々、なぜ8万もの神社が存在するのか?それぞれどのような神様を祀り、どのような伝承があるのか?

あまりに身近過ぎて疑問に思うこともなかった神社についての基礎知識を意識するだけで、見るもの、感じるものが全然違ってくる。それまで漠然としていた「八百万の神々」を感じ、自然と共存する日本人ならではの感覚も、はじめて実感することができたと思う。当然のように存在する神社に興味を持つことは、当たり前に過ぎていく毎日に感謝をすること。それが僕にとっての「楽しむこと」なのだ。

ここ10年ほど、神社の参拝者数は圧倒的に急増している。有名神社に行くと、以前はあまりその姿を見かけなかった20〜30代の女性たちで溢れかえっている。その多くが、各メディアで話題の「パワースポット詣」が目的で、なかには境内の「パワースポット」と呼ばれる場所のみ訪れ、お参りすらしない人を見かけることがよくある。たくさんの人が神社に関心を持つこと自体はもちろん嬉しいことなのだが、それが一過性のブームで良いはずはない。

そもそも、その存在と魅力を「パワースポット」というひと言で括ってしまうことに、僕は疑問を感じている。日本人が感じてきたのは何かご利益をいただくような考えではなく、ただただ生きていることへの感謝ではなかったか。日本人の神様への信仰はいつごろから、どのようにして生まれたのか?いまでは様々な神様の名前が語られるが、そのおおもとはいったいなんだったのだろう。街中の神社はその土地に根付く信仰だったのか?興味をもつとぐるぐると思いが巡る。

そんなこんなで20年あまりの時間をかけて全国の神社を巡って見えてきたもの。それは各地それぞれの暮らしや自然環境に根付くローカリズムのひとつの姿であり、そこに横たわる偉大なる自然崇拝そのものだということだ。そのなかでも具体性を帯びた感覚は「御山」に求められたことが多く、滝や川、森林や崖など、大袈裟に言えばこの星本来の姿をそのまま保つ土地を崇めてきたのかもしれない。そんなことに思いを馳せながら僕は、山に入り始めることになった。

日本においてピッケルやナーゲルを用いたいわゆる「近代登山」が始まったのは明治時代のことで、「日本アルプス」を命名した3名のイギリス人登山家がその歴史に名を連ねている。その後、大学や社会人の山岳部・山岳会を中心とした活動の時期から登山ブームを経て、今では登山人口は年間約800万人程度だと言われている。

だからと言って、古来から自然環境に恵まれていたこの国で日本人が山に登っていなかったということは、もちろんない。里山で暮らす人、山の中で暮らす狩猟民族、「行者・山伏」と言われた修験道の修行者たち…。当たり前のように山の恩恵を受け、ともに暮らす術を持っていた。先にも書いたようにもともと自然崇拝が広く浸透していた日本では、自然そのものである「御山」の景観を楽しむ観点や頂上を制するピークハントといった考え方はなく、その恩恵を頂きながらともに暮らし、ときには大自然そのものの神様や仏様にご挨拶にいく目的で山に立ち入ってきた。

槍ヶ岳など近代登山の文脈で前人未到と言われた山でさえ、登山者たちが初登頂を果たしたその時には既に古代から祀られる神様や仏様が鎮座していたそうで、近代登山が始まるずっと前から日本各地の山々には、神や仏に出会うために、または拝むために山を登る修行者たちの存在があり、その行為は「登拝(とうはい)」という言葉として今日まで残っている。

近代登山と登拝。どちらが良い悪いということではなく、山に親しみを持つ人が増えた今のこの時代だからこそ、この国に根付いてきた山の信仰や文化に今一度目を向けてみるいい機会なのではないだろうか。その違いや共通する感覚を楽しむことで、新しい山のカルチャーが生まれてくるかもしれないのだから。

そう、「楽しむことだ」。