Into the Local地域を着るということ

「衣の地産地消」を実現するLOCAL WEARの始まりは、
佐渡の棚田で米を生産する
とある“ジジイ”との出会いでした。

スノーピークが創業60周年を迎えた2018年。その年の4月にLOCAL WEARがスタートしました。これからの60年を見据える新プロジェクトが形作られるきっかけとなった佐渡棚田協議会の大石惣一郎さん(以下「大石」)との出会いを、Snow Peak 取締役 執行役員 企画開発本部長の山井梨沙(以下「梨沙」)が振り返りました。

梨沙
LOCAL WEARは、シンプルに言うと「衣の地産地消」を実現するためのプロジェクトで、地方産地を限定してその土地ごとの風土や技法に特化したものづくりを活かした、その土地で働くひとのためのワークウェアを作っていこうというもの。ものづくりや文化を継承するための職業体験ツアーを通じてその土地に根づいた労働と作業着の関係を追体験しながら、地方産業の後継者不足にも問題意識を向けて、真の「その土地を着る」体験をしてもらえたらと思って始めたんです。
大石
ほうー。ネーちゃん、ジジイに随分と難しことを言うね。で、今回の棚田での田植え体験も、その一環というわけね。
梨沙
そうそう。第一弾は地元新潟の、佐渡から。昨日は栃尾のかすり染め工房と一緒に作ったLOCAL WEARを身に纏って佐渡文化の象徴のひとつである能楽堂のある神社の境内でキャンプをして、今日はジジイに教えを請いながら棚田で田植え体験をさせてもらいました。地元のみなさんが用意してくれた昼ごはん、とても美味しかったよ!

親から受け継いだ地元・岩首の棚田で佇む“ジジイ”こと佐渡棚田協議会の大石惣一郎さん

暮らし方を体験する服

大石
ネーちゃんと初めて会ったのは、いつだったっけ?
梨沙
2年前の6月、佐渡観光交流機構の佐藤達也さんに紹介してもらった。最初は棚田での体験とかそういうことはまったく考えていなくて、LOCAL WEARは伝統的なものづくりの技術だったり洋服のスタイルを伝えようと思っていた。それで、まずはウェアのサンプルができて、モデルを探していたんです。誰もやったことのないプロジェクトだから、まずはビジュアル化してわかりやすく伝えるためのツールを作らなきゃと思っていたところで、佐藤さんに「現地の農家さんを探しているんですが」と相談したら、ジジイが出てきた。
大石
そうだったな。佐藤さんに聞いたら棚田を紹介してくれるって言うもんだから、ひょこひょこ出て行ったわけだ。その頃はちょうど佐渡棚田協議会を立ち上げたところで、棚田のことを多くの人に知ってもらう活動であれば、チンドン屋でもなんでもやるよって公言してたんだよ。田舎の人ってほら、シャイな人が多いだろ?「いやぁ、TVはちょっと…」なんてさ。誰かがやらなければ、せっかく知ってもらう機会を逃しちゃうわけだから。Snow Peakの「ス」の字も知らなかったけど、会ってみたら面白いネーちゃんだし、モデルを引き受けたわけだ。

普段は開放していない佐渡の文化遺産・能楽堂がある神社の境内でキャンプ泊。

梨沙
回数で言ったらまだ4回しか会ってないんだけれど、濃い付き合いだよね。初めて会った時「大石さん」と呼んだら、「ジジイでいいよ」と言われて、以来「ジジイ」と呼んでる。こんなにジジイという呼び名がしっくりくる人には会ったことがない。昔から知っている友だちみたいな感じ。
大石
佐渡の棚田のジジイ。60前に付き合った若い子達はみんな「おとん」って呼んでたけど、60を機に「ジジイ」に改称したんだよ。改まって「大石さん」とか、なんか仰々しいし、お互いに面倒くせえから。実際、ジジイはジジイだし。それにしても、そんなジジイを捕まえて、真冬の雪の中取っ替え引っ替え着替えさせやがったよな、ネーちゃんたちは。
梨沙
ごめんごめん。でも結構ノリノリだったじゃん。その撮影の時に、今回の体験ツアーで田植えをさせてもらったここ岩首の棚田をまず見せてくれて、そこでジジイが棚田のためにやってきた活動や、後継者不足とか棚田を取り巻く現状なんかを聞いているうちに、「このジジイのために何かしなきゃ」って勝手な使命感に駆られて。日本のアパレル産業の現状も似たようなところがあるから。それから1年くらいかけて色々と考えているうちに、同じようなことが日本の、特に地方のあちこちで、いろんな産業で起こっているんだよなと思うようになって、ウェアだけではないLOCAL WEARというプロジェクトの全体像が段々形作られていったんだよね。撮影の時、ジジイが「うちの母ちゃんも昔はこういう格好をして農作業してたな」とか言っていたのを聞いて、佐渡の棚田で農業をするっていう働き方をお客さんに実際にフィールドワークしてもらって、こういう暮らし方が佐渡にはあるんだっていうことを実際に見てもらって伝えたいと思った。「体験」というアイデアは、だからジジイから生まれたんだよ。

棚田でジジイの話を聞いていると、
LOCAL WEARで伝えたいことと棚田での農業の現状は
やっぱり同じなんだなってすごく感じる。

“高級外車”的な農業と棚田農業の違い

大石
ここ佐渡の岩首で生まれて、両親がやっていた棚田での農業を継ぐのが嫌で仕方なくて、東京に逃げてた。辛いし、金にもならないし、かっこ悪いと思ってたからな。32の時に佐渡に戻ったんだけど、佐渡の農地の4割を占める棚田が自分が逃げ出した頃より随分と酷い状況になっていたわけだよ。ジジイやババアだらけになって後継者もいなくて、年金をつぎ込んでなんとか維持している人までいる。棚田は佐渡の原風景な訳で、ここで生計を立てて行くためには、お役所やら他の産業やらメディアやら巻き込めるものはみんな巻き込んで、アピールしていくしかないと思ったわけだ。で、それからはまあ、楽しみながらいろんな活動をさせてもらってるよ。2011年に棚田を含む佐渡全体が世界農業遺産に登録されたのをきっかけに、佐渡棚田協議会を作ったんだ。
梨沙
最近は若い人もだいぶくるようになったんでしょ?
大石
だいたい500人くらいが環境だったり地方活性っての?を学びたいってこんなジジイのところにくるようになったな。棚田は、生産量や作業量からみて全くもって合理的な農業じゃない。今までと同じやり方で流通させたとしら、だだっ広い平地で1,000万もする高級外車みたいなコンバインに乗ってグワーっと大規模に農業やっている奴らまで全部ひっくるめて佐渡米になる。それと同じにされたらやっていけるわけがない。だから棚田協議会のHPで通販したり、背景を理解してくれている幼稚園なんかに直接販売している。それから、消費者と話していてよく出るのが「安全で安心な食料」ということ。僕らもそれを求めているし、目指している。でもその次に「安全で安心で安い」って続く。それはおかしいだろ?安全で安心なもの作るには絶対的に手間もかかるし、「安い」に評価基準の中でも重きを加えられるとやっていけない。で、僕はこの景色を思って頂いて、できれば体感してもらって、汗流してもらうと、棚田米が何で高いのか、高くしないと守れないんだっていうことを、そろそろたくさんの日本人にしっかり理解してもらいたいの。
梨沙
岩首の棚田でジジイの話を聞いていると、LOCAL WEARで伝えたいことと棚田での農業の現状はやっぱり同じなんだなってすごく感じる。メディアや広告が言うことを鵜呑みにして、自分の主観で何がよいもので何がよくないものかを判断できる人が少なくなっているんだと思う。現場に行って自分の目で見て、それが自分の本質的な価値観でよいものなのかどうかを見極められるのがアウトドアパーソンであり、Snow Peakが今までずっとやってきたこと。アウトドア以外の、どんな分野でも自分の感受性で見て感じることはとても大切なことだと思うから。Snow Peakがしっかり伝えていかなければいけないのは、そういう本質的なこと。ジジイがやっていることは本当に本質的で、すごく正しい事だなと思ったんで、わざわざみなさんに佐渡まできてその生活の一端を体験して頂いたんだよ。

限界に気を足してみる

大石
世の中で、「限界集落」っていう言葉があるだろ?初めてその話を聞いたのは、10年以上前に講演をしてもらった時で、棚田関係の研究をしている早稲田大学の名誉教授が言ってた。作ったのは徳島大学の先生だけど、講演が終わった後にその教授に言ったの。いや先生ね、言ってる事はすっげえわかるし、限界集落ってさ、そこに住んでる人がいちばんよくわかってるんだよ。それを研究者に言われたくねえって。こういう場所を支援しようとしてるんなら、ちょっと気を遣ってね、もうちょっと違う呼び方があるじゃねえかよってさ。
梨沙
確かに、「限界」は酷いよね。
大石
「限界」に気合いの「気」を入れたら、「元気かい集落」になるじゃん。いや、それぐらいの心遣いができねえのかよって。そしたらその教授、その後あちこちで講演するたんびに、その話をしてるらいしよ。そういう気持ちで接して欲しいよね。ここに住んでんだから、「限界」が近いのはよくわかってんだもん。でも、他人に言われたら傷つくでしょ。
梨沙
佐渡にきて棚田の農作業を体験して、ジジイと話しながら一緒にご飯でも食べたら、「元気かい集落」の意味合いがよくわかるよ。今回田植えをした棚田の収穫体験のツアーを10月に組む予定だから、またよろしくね。

大石さんが拠点とする、廃校になった小学校を活用した施設にて。かつてご自身も通ったこの場所を拠点に、地域おこし協力隊を受け入れ、様々な地域活性活動を行なっている。

photography : Ko Tsuchiya
Edit : Kei Sato