産業の礎となった和釘づくり
新潟を悠々と流れる信濃川の支流のひとつ五十嵐川、三条市の中心部を流れる普段は大人しいこの川は昔から暴れ川と呼ばれ、幾度となく氾濫を繰り返してきました。
三条鍛冶の歴史は、寛永2(1625)年から3年間、代官所奉公として三条に在城した大谷清兵衛が河川の氾濫に苦しむ農民を救済するため、江戸から釘鍛冶職人を招いて農家の副業として和釘の製造方法を指導したのが始まりとされています。
寛文元(1661)年に会津地方から鋸(のこぎり)、鉈(なた)などの新しい製造法が伝わると、製品も釘から鎌、鋸、包丁へと広がり、専業の鍛冶職人が育ちました。
鍛冶専業者が増加してくると、自然と金物を取り扱う専門商人が出てくるようになり、近隣の土地から次第に県外へと商圏エリアを広げていきました。
和釘から始まった三条鍛冶職人のヒストリーは、三条を金物の町と呼ばれるまでに発展し、燕市とともに世界に誇れる技術、技法を発揮する地域となりました。
燕三条地域は、海、山、川と豊富な自然に囲まれた土地でもあります。また肥えた土壌を持ち山菜から果物まで食材にも恵まれた土地でもあります。
スノーピークが掲げる「ナチュラルライフスタイル」を体言するための、あらゆる要素が詰まった土地です。いえ、こういう土地だからこそスノーピークが生まれたのです。
もうひとつの文明ヒストリー
和釘の歴史が、三条鍛冶のルーツの定説と言われていますが、三条市内の遺跡からは鉄を精錬されていたと見られる遺跡も見つかっています。農耕器具に鉄器が使われた証として砥石も出土しています。井栗地内の藤ノ木遺跡から室町時代と見られる、驚くべき薄さの鋳物の鍋がほぼ無傷で出土されました。鍋底には3本の脚が付き、可動するツルも備えた本格的な鉄鍋です。デザインも秀逸で現代にも通用するフォルムです。
スノーピークは2011年の新製品として、地元燕三条の巧みな鋳物成型技術を最大限に活かした“燕三条極薄鋳物”をオリジナルのダッチオーブンに採用しました。今までは誰も実現できなかった薄くて軽い鉄鍋をカタチにしたのです。この土地に息づくモノづくりへのこだわり、スノーピークにも脈々と流れる魂スピリッツです。