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避難所難民

*maikoの空間

原発で他県への避難を余儀なくされる方のニュースが日々流れていますが、

宮城県内、ここ仙台市内でも1箇所にずっと留まる事が出来ず、

何回もの避難所の移動を余儀なくされる方達が多くいらっしゃいます。

TVや新聞でご覧頂いた方も多いと思いますが

津波避難地域からヘリで搬送された先が自宅から程遠い場所だったり

被災先がたまたま出先で家を失った方だったり

理由は様々ですが、皆さんの願いは一様に

「出来れば自宅近くの避難所へ移りたい…。」


ライフライン復旧も進み、先日の東北道前面復活を機に

仙台市内も昨日からやっと道路に車が見られる様になり

希望の避難所へ移動も多くなって来ているそうです。

ですが、避難所にもキャパがあり、既に限度を超していても

希望とあらば受け入れざるを得ない

→廊下などでの寝泊りを余儀なくされる。

と、行った現象が見られているそうです。


どこの避難所に行ってもブルーシートにダンボール&毛布は変わらないのですが、

支援も提供数が中途半端だと混乱が起きるため

個人での提供をありがたくも受け入れられない現実があるそうです。

  • 2011/3/26更新
  • 2011/3/26登録
  • 4回更新

コメント

▽最近の10件 [ 全11件を表示 ] ページ| 1 | 2 |
11/3/26

かわちゃん

阪神淡路のときもそうでした。
学校が始まれば移動しなければならないし、避難者がへって行けば避難所が統合され、また移動しなければなりません。
避難所もそうですが仮設住宅もなかなか希望通りの場所に入ることは難しいでしょう。

11/3/27

*maiko

☆えいとぼりさん☆

こんばんは。

>移動なんてあるんですか?

小中学校が指定避難所である以上避けられない現実なんですね…。


仮設住宅も設置できる場所が限られてきていて

南三陸町では津波の爪跡が残る海岸際800m地点に設営するとかで

住民からは勿論反発の声が。

只今、佐藤町長が変更の申し立てをしています。

当たり前ですよ。そこはあんまりですものね…。


小樽の寒さとは比較になりませんが、

宮城は「ヤマセイナセ」と言って山からの風と海風がぶつかる地形で

寒さの上に強風が吹きやすいので寒さも半端無いんです。

せめてマット+シュラフ+ペットボトル湯たんぽで眠って欲しいです。

*maiko

☆かわちゃん☆

やはりそうでしたか。

もう少し長めの休み(夏休み)とかだったらまた違うと思うのですが…。

いずれにせよ、今回は海水がまだ引かない被災地が非常に多く

満潮になるとそこにまた海水が1m前後で溜まる。

高台と言われる所はまだ山林が多く残っていたり…。

苦肉の策で「被災現場」に場所決めたりしてますが

もう少し被災者の気持ちを汲んであげて欲しいです。

かわちゃん

阪神淡路の後、内閣府が出した「教訓資料」が有ります。
そこにこれから避難所や仮設住宅で起こるであろうことが書かれてますので是非参考に

http://www.bousai.go.jp/...

tomojii

私は裏六甲(神戸市ですが山の裏側)で、阪神淡路大震災の時は、表(海側)の被災が酷く、
緊急の仮設住宅の建設は、裏(我家近辺)が中心となり、
特に我家近辺は神戸市の都市計画開発地でしたので、
公園、神戸市の住宅分譲予定地、全ての空地に仮設住宅が建設されました。
入居が抽選だったので、ばらばらの地域から来られていましたね。
仮設で知り合われた方々の付き合いは今でも続いていると聞きます。
ただ、仮設に最後に残られていた方は寂しく見えたのを覚えています。
16年前ですが、今でも思い出せるのを自分でも不思議です。

*maiko

☆かわちゃん☆

いつもあちこちからの情報ありがとう!

これからのボランティア活動にとても役立ちます^^

ありがとう!

*maiko

☆tomojiiさん☆

こんばんは!

阪神淡路大震災の記憶って16年も前?って私達でさえ思うほど鮮明でした。

仙台市内でも区画整理事業対象区域で変更が生じるかも知れません。

11/3/29

shoei

*maikoさん、お久しぶりです。
shoei@秋田です。皆さんご無事だったようで、なによりです。

秋田は揺れは大きかったものの、亡くなった方もおらず、停電も二日目で復旧。東北の中ではかなり恵まれた状況のようですね。

先週は、隣県の支援ということで岩手県の釜石市と大槌町に行っておりました。
いやはや、今年最初の寝袋使用が、こんな形で岩手で使うことになるとは思いませんでした。
計5カ所の避難所に行きましたが、このうち3つは学校で、地元のスタッフが「避難者の受け入れ・支援」と、そろそろ対応を決めたい「一日でも早い学校の再開」という、両立が難しい課題に悩んでおられました。
三陸のリアス式海岸特有の地形により、仮設住宅をまとめて建てることが可能な平地がほとんど無い、という事情もあるようです。

現地滞在中に、かろうじて車1台分の幅だけガレキが片付けられた道路を、パンクしないでくれよ!と願いながら車を走らせてたどり着いた、とある避難所での事。
地域一帯は津波で壊滅状態。避難所自体も電気や水道といったインフラ無し。携帯電話も全社通じない、という状態でした。
岩手県が進めている「被害が少なかった内陸部への一時避難」の申込用紙が届いていたのですが、希望する人は今のところ少ない、と言われたのが印象的でした。
*maikoさんの書き込みにもありましたが、たとえ不便を強いられるとしても自宅近くにとどまりたい、と考えている方は多いんだな、と感じました。

*maiko

☆shoei☆

ご無沙汰!

shoeiのところも一家無事で何より^^


大変な現場へ行ったんだね。お疲れ様。

私は身内が仙台で津波被害の酷い若林〜山元町地区にいたんだけど

そっちは本当に砂漠だよ。

住宅地があったなんて誰もわからない。

地元人間の私達ですら何処を走っているか判らなかった。

スタンドも何もかも跡形も無く流されてて…

現場から遥か彼方に瓦礫と泥の山。

それでも住める家には人が戻っている。

沿岸沿いは特にお年を召した方が多いし、

漁村の結束力って「村一つが家族」っていう感じの特有の物だからね。

ご年配者は「ここで骨を埋めたい。」

若者は「必ず復興させる!」

それが本音だと思う。


支援は長期戦になるけどお互い頑張ろう!

身体、気をつけてね!

11/3/30

shoei

さきほど帰宅してテレビをつけたら、見覚えのある避難所(学校)の体育館で卒業式が行われている映像が流れていて、思わず涙しながら応援してしまいました。

そうですねー。今回は長期戦になることは確実だと感じています。
ちなみに短期的な話では、どうやら寝袋と10数年愛用のカスケードデザインのマットを背負って、今度は宮城県内に出かける日が近そうな予感です。
我が社は職員数があまり多くない(しかも若手は少ない)ので、交代のローテがすぐに回ってきそうな情勢なんですよ (@_@)

まあ、震災時の対応、街の再興、全てにおいて実地で見る機会はとても貴重なので、職場を空けて仕事にしわ寄せがきてキツくても文句を言っちゃあいけませんね。
医師でも消防士でも自衛官でもない自分が被災した現地行ったところで、たいして役に立っているとは思いませんし、むしろ勉強させてもらってるのはこっちのほうですが、
将来経験を生かせれば、トータルで恩返しができるんじゃないかな、と思っているところです。

復興させて次の世代に繋いでいく。そうありたいものです。
ほんと微力でスミマセンが、応援しています。
*maikoさんも、身体をいたわりつつ頑張ってください。
では〜