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小諸城跡(市営公園小諸城址懐古園)

*kenの空間

酔月城 穴城 白鶴城 鍋蓋城とも呼ばれた小諸城の跡

島崎藤村の千曲川旅情の歌「小諸なる古城のほとり」でも知られる信州の名園

武田信玄の家臣である山本勘助らにより現在の縄張りとし、豊臣秀吉天下統一のとき小諸城主となった仙石秀久により完成された城です。

また「上を向いて歩こう」は永六輔氏が戦時中の小諸時代、この懐古園での悲しい思い出から作詞されたということです

1487年:大井光忠によって築城、
1554年:武田信豊が入城、武田氏滅亡により滝川一益(織田信長の将)→松平泰国(徳川家康の将)
1590年〜1614年:豊臣秀吉が天下統一、小田原攻めの軍功で仙石秀久(安土桃山時代から江戸時代にかけて改修)
1600年:関ヶ原の戦い
1603年:徳川家康幕藩体制を開始、仙石秀久が小諸藩の藩祖
1614年〜1622年:忠政は信州上田藩へ移封 小諸藩は一時、廃藩
1624年〜1647年:松平憲良が美濃国大垣藩より5万石で入った
1648年〜1662年:青山宗俊が3万石の大名として小諸に入った
1662年〜1679年:酒井忠能が上野国伊勢崎藩より3万石で入った。苛酷な政治で一揆が発生し移封。
1679年〜1682年:西尾忠成が2万5000石で入り
1682年〜1684年:松平乗政が2万石で入った。
1684年〜1702年:松平乗紀。
1696年〜1722年:牧野康重。徳川綱吉の生母、桂昌院の義理の甥
1722年〜1758年:牧野康周。
1758年〜1784年:牧野康満。
廃藩置県まで藩主牧野氏
1872年:廃藩置県で小諸城は役割を終え
1880年:城郭は払い下げられ、小諸藩の旧士族の手により本丸跡に神社が祀られ、「懐古園」と名付けられた
1926年:造園の権威である本多静六の設計により、近代的な公園に生まれ変わった。
※間違ってたらスミマセン

  • ジャンル

    旅・野遊びのひとコマ

  • 撮影日

    2010.9.22

  • 撮影場所

    長野県小諸市

  • 撮影機材

    Canon EOS 5D Mark II

  • 2010/10/8登録

コメント

10/10/8

ふぁんき〜!

尊敬します・・・

sun*masala

うっ・・・歴史弱かった!(^^ゞ

ここには動物園も遊園地も小山敬三美術館も島崎記念館も郷土博物館・・・なんかあって幼稚園、小学校と遠足に行きました。

春は、桜がきれいなんですよね〜

りなパパ

学が有りますねぇー 中に入れる絵が無いね

多分何かのまる写しかな

10/10/9

*ken

ふぁんき〜!さん、その尊敬してる気持ちをず〜っと忘れないでくださいね!(爆)

*ken

sun*masalaさん、そうそうありましたです〜
「男はつらいよ」の建物もあってビックリでした(笑)

春はサクラすごそうですね〜!

*ken

会長、どっかで見てるような感じで・・・(笑)
丸写しじゃないですよ、半写しかな?

行った名所を帰ってきてから調べると面白いですね!(笑)
調べた後も史実が記憶に残ればなぁ〜