クロネコの日記

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人間集団になったり、団体になったりしたら横柄になり
周りの配慮も忘れ疎かになりとんでもない行動を取るのが
常だ。

だが良きリーダーシップが居る集団・団体はきっちりと
目標を定めて、一点に真っ直ぐに進み周りに対する配慮も
取られてとても気持ちの良いものだ。


だが私は団体行動や集団行動を取るのが大嫌いな上に
嫌悪感すら覚える性格で正直何かで吹っ飛ばしたい気分だ。

何故この様な変な性格になったかは明白である。


私は中学校を三重県に今でも有る日生学園第2付属中学校
第3期生として入学しそれはそれはおよそ中学生が体験することは
まずない壮絶な学園生活を送ったからだ。

ここでの生活は有る意味、自衛隊以上で強制収容所と言っても過言では
ない。務所の方が断然楽勝かも知れません。(私は善良な日本国民ですから
務所に行ったこと無いです)

在学中一体どれだけの人間が死んだか計り知れない。

時計台から飛び降りて自殺し、その直後の生々しい血痕を目の当たりに
した。中学生では強烈に刺激が強すぎて今でも鮮明に覚えている。

曲がりなりにもどうにか切り抜けて今日が有るがメチャクチャおもろない
青春時代であった。

ここではとことん強制的に団体行動を強いられたせいかその後は
団体行動や集団行動を大嫌いになり、少人数行動もしくはソロ行動を
好むようになった。


数年前有るキャンプ場でソロで出掛けた時の事
深夜まで騒ぐ10数人の集団が煩く寝れなかった。

もう我慢ならず一対10の喧嘩覚悟で突撃・抗議に行った。
そしたら渋々静かになってきたが中々怖いものである。

でももし相手側が攻撃してきたら、私は手持ちの鉈や斧で応戦しようかと
言う覚悟も有ったが相手に聞く耳があったので、そこまで発展せずに
済み人生を棒に振らなくて済んだ。

それからは、対策として耳栓をするようになり多少は我慢できる様になった。

また、騒音が酷いようであれば今後は撤収することが一番だと思った出来事でした。



追記

日生学園の都市伝説

日生学園生が夏休み等で地元に戻ると地元の悪ガキや不良が一斉に
街から消える。どうやらしめられたり、怖くなり逃げ出したようだ。


どうにもならない超問題児・8○3の息子等が意外に多い。
これは本当だと思った。