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死者からの贈り物

昨年亡くなったうちの人から私宛の花束が着いた(3/9)。
まだ体調が良かった昨年の今頃に手配したみたいでなんかのいたずらかと思ったけど花屋に託されたメッセージカードをみて落涙。
なぜ3/9に届け日を設定したのかは不明、私の誕生月は6月だしバレンタインともホワイトデーともズレている。よくわからない。
まだそれほど深刻ではなかった病状での闘病の時に書かれているはずのメッセージだったが、はっきりと死期を悟っているのがわかった。私は楽観していた頃で主治医からも深刻な話はなかった頃。医師から深刻な話になったのは4月になってからで・・・。
私の誕生日までもたないだろうとか覚悟を固めたことが淡々と綴られていたが目の前には楽観視している伴侶がいてさぞや情けなく心細かったんだろうな。
ごめんね。
東京で入院していたのに、関東で地震が起きて原発事故もあって首都圏にいてば危ないと大阪圏に転院させた。元々近畿の出身とはいえ関東に慣れていたのに強引に転院させた。それもメンタル的にはまずかったかもしれない。でも東京が当事者能力に欠けた電力会社に支配された何が起こるかわからない汚染地に近いのは事実で間違った判断とはまったく思っていない。ただ頻繁には見舞いに行くことができず彼女の実家のサポートは得られたとはいえ老いたご両親に負担をかけたのはあった。
それから2年、病状は好転しないが悪化もしない、彼女も再び東京に再転院を希望してきたが、私も現在進行形の核災害を有事と思っていない日本政府を考えると首都圏移送は危険と判断した。

正直に言えば彼女がいなくなってからはかなり荒れている。まぁしかたがない。もちろん彼女のせいではない。なんとなく彼女はそこまで予見したわけではないだろうが、諌められている気がした。

花屋さんに連絡をとって覚えておられないだろうけどと一年前のオーダーを訊いてみた。電話に出た方はご存じなかったが、電話をかわったご主人の女性がオーダー対応をされたらしく事細かに教えてくださった。最後にご主人が震える声でお元気ですかと問われた。もちろんあちらも元気なら当人に訊けば済むことを花屋に訊いているのだからどういうことか想像できるだろう。でもあえて訊いてこられた。オーダーの4ヶ月後に亡くなりましたとお伝えしたら、息をのみ声が震えていたし私も涙声になってしまった。看護士に付き添われて来店した女性が1年後のオーダーをしたことで記憶にとどめたそうだ。

メッセージカード、字に乱れは全くなく平静で書かれている。あのときどんな思いで過ごしていたのだろうか、不満は何も言わない人だっただけにその心中を察するのが難しい人でもあった。いつもニコニコしていて・・・。でも心中が穏やかなだけではないことは今は知っている。その証拠として88時間40分の録音された肉声が手元に残っているからだ。

いままでも感謝とお詫びをしてきたがこれからもそれは続きそうだ。