MyDOタックの日記

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あれから、11年目。
『天災は忘れた頃にやって来る・・』と言われますが、仕事の忙しさの中でもいまだにふと思い出すあの日のこと。
当日の夜、ちょうど今頃の時間(22:30頃)に、明石の少し傾いた自宅に嫁はんと娘を置いて家を出て、東灘の実家に向かった。車には充分な水とインスタント食品を積んで・・・。
被害のひどい(はずの)海岸沿いを避けて、六甲の裏側から神戸大学付近に抜けるトンネルまでは比較的スムーズに来たが、ふもとの東方に実家付近が見えるのに、そこからは1kmを1時間のペースでしか車は動かない。大渋滞だ。
神戸大学付近の古い学生アパートは何棟も倒壊していたし、道路も何箇所か、車の腹を擦るぐらい段差ができていた。
R2に面した実家付近にようやくたどり着いたのは朝7時半頃、家を出てから約9時間かかったことになる。
自分の部屋だった2階が門の奥に見えない。車を降りて近付くと1階がペチャンコ状態。玄関の扉を、ふたを開けるように持ち上げたがその先に入っていけそうもない。
その後、昼前頃、母校の中学校(目前の阪神高速は少し東側から芦屋川にかけて横倒し状態の地域)で怪我をして手当てされていた母を見つけた時は思わず泣いてしまった。すぐ後に父にも会えた。両親とも腕や足に怪我をしていたが、命に別条はなくひとまず安心した。
ついこのあいだのような記憶だ。to contenue・・・

コメント ▽全2件

06/1/18

O-kiku

おはようございます。
昨日は朝からTVやラジオなどで“震災11年”を振り返るプログラム多くやっていました。それらの番組を見ながらMyDOタックさんの事を考えていました。

このSPCの中で知り合えた事、多趣味な私に新たに“ブルーグラス”“BANJO”の音色!楽しさを教えていただきました。^^・・・マダマダ勉強中ですが・・^^;
そして。。。安全に対する心配り、周りへの気遣い等、大人としての“大きさ”のようなものを感じているのでしょう。

この日記を読んで、報道からでは伝わらなかったであろう現実!のようなものを感じました。何度も読み返しました。
その時の場面を、MyDOタックさん心情の変化など想像しながら涙ぐんでしまいました。11年の時は長くても記憶の中ではつい昨日のようになってしまうのですね。

MyDOタック

O-kikuさん、こんにちはー。
こんな日記を読んでいただいて恐縮です、ありがとうございます。
昨夜のこれを読み返していて、書いているうちに感情的になっていくのが少し恥ずかしいです。
ただのノスタルジックにしないように、何らかのお役にたつような記事になるように気を付けて、以後は書いてみたいと思います。