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起工式式典用テントの足元にソリステを打込むと、冬場の風が強い日でも安心です。
震災当日は、火曜日だった。15日は日曜日で祝日が重なって16日月曜日も休みで、その次の日の早朝だった。
よく見たら今年のカレンダーも17日は火曜日。
震災後初めて風呂に入ったのがその週末の土曜日(21日夜)に、家族と包帯姿が痛々しい両親を連れて、明石から西の姫路方面に行った。
次に風呂に入ったのが24日火曜日、大阪の枚方市の親戚からの帰りに箕面市にある温泉施設。被災者割引ということでしたが、無料だったと手帳に記録している。
お風呂の湯船に浸かった時、なぜか涙があふれてきて、とめどなく流れてきた。近くにいた見知らぬ人が『たいへんやろけど、頑張りやー・・』って言われて握手をしたこと、ついこのあいだの出来事のように思い出します。今、思い出しても少し滑稽な場面です。湯船の中で、ええ年した大人が、なぐさめられ、泣きながら握手をしている、しかも裸で・・・。
あれから、11年目。
『天災は忘れた頃にやって来る・・』と言われますが、仕事の忙しさの中でもいまだにふと思い出すあの日のこと。
当日の夜、ちょうど今頃の時間(22:30頃)に、明石の少し傾いた自宅に嫁はんと娘を置いて家を出て、東灘の実家に向かった。車には充分な水とインスタント食品を積んで・・・。
被害のひどい(はずの)海岸沿いを避けて、六甲の裏側から神戸大学付近に抜けるトンネルまでは比較的スムーズに来たが、ふもとの東方に実家付近が見えるのに、そこからは1kmを1時間のペースでしか車は動かない。大渋滞だ。
神戸大学付近の古い学生アパートは何棟も倒壊していたし、道路も何箇所か、車の腹を擦るぐらい段差ができていた。
R2に面した実家付近にようやくたどり着いたのは朝7時半頃、家を出てから約9時間かかったことになる。
自分の部屋だった2階が門の奥に見えない。車を降りて近付くと1階がペチャンコ状態。玄関の扉を、ふたを開けるように持ち上げたがその先に入っていけそうもない。
その後、昼前頃、母校の中学校(目前の阪神高速は少し東側から芦屋川にかけて横倒し状態の地域)で怪我をして手当てされていた母を見つけた時は思わず泣いてしまった。すぐ後に父にも会えた。両親とも腕や足に怪我をしていたが、命に別条はなくひとまず安心した。
ついこのあいだのような記憶だ。to contenue・・・
『こわーい爆跳のお話』として、七輪本舗のHPのなかに、木炭の爆跳がなぜ起こるかが解説されているのを見つけた。
http://www.fnw.gr.jp/...
鹿児島市に合併された旧喜入町の道の駅の隣の漁港で和製DO28を使って、焼き芋と生ピーナッツの焙煎をしてきました。
今回は飛散防止ネットのデビューで、使い勝手を検証するのが目的でしたが、嫁さんにも好評で、これからはずっとお供してもらうことになりそうです。
実は、薪と炭を積み忘れ、炭はここの近くのスーパーで買い、薪はこの写真の向こうに見えている消波ブロックの隙間に無尽蔵の流木を集めて燃やしました。乾燥した流木は良く燃えます。
明けましておめでとうございます。
とりあえず新しい年には新しいカタログが楽しみです。
今年買う物に、葉っぱ踏み踏み・・チガッタ・・付箋張り張り(フル スギテ 3*クラブ メンバーグライシカ ワカラナイ ギャグデス・・?)。
今年のウェイ、九州は4月15・16日歌瀬ということで、早速カレンダーにマーキング&手帳にブッキングしときました。
06/1/18
おはようございます。
昨日は朝からTVやラジオなどで“震災11年”を振り返るプログラム多くやっていました。それらの番組を見ながらMyDOタックさんの事を考えていました。
このSPCの中で知り合えた事、多趣味な私に新たに“ブルーグラス”“BANJO”の音色!楽しさを教えていただきました。^^・・・マダマダ勉強中ですが・・^^;
そして。。。安全に対する心配り、周りへの気遣い等、大人としての“大きさ”のようなものを感じているのでしょう。
この日記を読んで、報道からでは伝わらなかったであろう現実!のようなものを感じました。何度も読み返しました。
その時の場面を、MyDOタックさん心情の変化など想像しながら涙ぐんでしまいました。11年の時は長くても記憶の中ではつい昨日のようになってしまうのですね。
O-kikuさん、こんにちはー。
こんな日記を読んでいただいて恐縮です、ありがとうございます。
昨夜のこれを読み返していて、書いているうちに感情的になっていくのが少し恥ずかしいです。
ただのノスタルジックにしないように、何らかのお役にたつような記事になるように気を付けて、以後は書いてみたいと思います。