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ふと、気が付けば私の地域の小・中・高生で
いわゆる「ヤンキー」(死語ですか??汗)がいない。
と、いうか震災後非常にハツラツと挨拶をしボランティアなどで生き生きとした姿になっている事に気が付いた。
彼(彼女)らは実は人一倍優しい面をもっている。
ある意味何かしら心の痛みを知っている者が多いからだと感じる。
それが社会・家庭・学校からの疎外感だったり…。
理由はそれぞれだけど元々傷つき易い子達だから。
ボランティアには髪の色、背格好、成績なんて関係ない。
避難所生活の方達から必要とされ、それに応え「ありがとう」と言われる。
たったこれだけの事かもしれないけれど
「誰かに必要とされる。」
「自分も誰かの役に立てる」
これがきっと彼(彼女)らにとって今まで心の穴を埋められなかったものだったんじゃないか?とパパと話をしていました。
要らない人も物も無い!
頑張れ!!若者!!期待してるぞ!!!
11/3/24
そういった若者が、自ら率先して動いてる姿TVでも拝見できます。ドロドロになっても一生懸命片付けをしてる姿は見ていて気持ちがいいです。
今回の行動で【他人の為に】という気持ちが大きくなれば、日本の将来も安泰ですね。
復興後、そういった若者達も(ヤンキー行動でなく)活躍できる場も芽生えていけばいいですね。
テレビで避難所の子供達が頑張っている姿を見るにつけ、涙が出ますが、同時に未来への光明を見る思いでもあります。子供達の姿が、周りの大人たちにも少なからず元気を与えているのでしょうね。
うちの10歳の長男も刺激を受けて、小学校で募金集めしています。
今回の事を経験し成長した子供達が、新しい時代を切り拓いていくんだと思うと、頼もしくすらあります。
しかし、それぞれが心に深い傷を受けている事は間違い無いでしょうから、なんと言いますか、甘えさせてあげたいという思いもあります。
被災地ではない東京でも、繰り返す余震と被災地の映像に怯え、家から出られない子供や親から離れなくなった子供が増えていると聞きます。
被災地の子供達に明るい未来が待っている事を願って止みません。
☆えいとぼりさん☆
>ヤンキー行動
分かっていても、してみたい年頃ってやつですよ^^
表涼しい顔して心がドロドロしている人より全然可愛いです。
「他人の為に」って、
初めて「無償の愛」を実感する行為だと思います。
良い経験ですね^^
☆大将パパさん☆
お子さんの募金活動、お話を伺い嬉しい限りです。
ありがとうございます、とお伝えくださいませ。
一部、今後の大人の多忙さを気遣って
お子さんだけキャンプ場ご招待などの動きがありますが
こんな事があって子供のみならず皆が一番思っている事は
「何があっても家族は一緒がいい。」
これに尽きます。
以前、数年前の三陸沖地震が子供達の夏休みを直撃したので
宮城交通、国立高規格キャンプ場等々のご助力の元
全て無償で被災した子供達をキャンプ場に招待する企画をたて
有志と一緒に石巻の仮設住宅、一軒一軒ご案内に伺いましたが
「ここが怖いと分かっていても家族が離れる事の方が怖い。」
というご意見が殆どで、
自分の思うよりも傷が深いことを実感しました。
こう言う時は「現場に足を運ぶ。」
これ以外真実は見えて来ないと学んだ苦い思い出です。
>「何があっても家族は一緒がいい。」
最終的に辿り着くのは、それなんですね。
今回の大震災の日の真夜中、東京にある私の実家に、お隣に住む女の子が泣きながら訪ねて来たそうです。事情を聞くと、共働きの両親と連絡がとれないまま、独り自宅で地震に震えていた由。家に招き入れて一晩一緒に過ごしたそうです。震災当日は東京でも交通や電話がマヒしていましたから、娘と連絡がとれないまま帰宅できなかったご両親も、さぞかし心配な一晩を過ごしたことでしょう。
勿論、このご家族は全員無事で、離れ離れは1日だけの事です。それでもこの女の子は本当に辛く寂しい思いをしたんだと思います。被災地にいる子供達は、なおさら…
頑張っているヤンキーさん達とは年齢層が違うと思いますが、被災地で傷を負った幼い子供達一人一人を抱き上げてあげたい気持ちでいっぱいです。
11/3/27
☆大将パパさん☆
我が家も娘だけが2時間近く見つからず大変焦りました。
「お家に誰かいるの?」
と、道すがら下校する子供達に声を掛け
一人きりになる子は集団で小学校の体育館へ送ったり
ご近所の子はお預かりしたり…。
大の大人でもあの時1人きりは本当に心元無かったですから。
通信網全てシャットダウンされていては
東日本がパニックに陥っているなどと知る由も在りませんでしたから
「何がおきたのだろう!?」
理由・原因がわからないって目に見えない恐怖ですよね。
今こちらでもメンタルケアが話題になっていますが、
現地でご尽力頂いたお医者さんそのものが
「治療中にも揺れ続けトラウマになりそうだった。」
「さながら野戦病院だった。」
と仰っているほどですから、
子供達などはもっと今後のケアが必要とされています。