【みかん農家】 from PARTNER自分の暮らしを見つける。

Prologue

Snow Peak Apparel 22 SSシーズンのルックブックで自然のバイオリズムと共にある日常を垣間見させて頂いたみかん農家の若松優一朗さん。地元である山と海が近い愛媛県宇和島市の豊かな自然の中で家族と共にみかんを栽培しながら、心から愛するスケートカルチャーを地元にも根付かせようと楽しみながら試行錯誤を続ける若松さんに伺った、自分の手で創る境界線のない暮らし方。

地元をとことん楽しむために、外でとことん模索する。

29歳の優一朗さんは地元のみかん農家の生まれで、首都圏の大学に進学後、スケートボードにどっぷりハマった。ファッションや飲食、ケータリングなどのバイトをしながら経験を積み、東京やカナダ、オーストラリアを転々としつつ次第に自分が生業としたいことを見つけ、いつかは戻りたいと思っていた地元に戻り、今はみかん農家を中心とした活動を続けている。

優一朗 「宇和島市は四国でも野球推しの街で知られていて、なかなか他に選択肢がなかったんですよね。僕も小学校で少年野球を初めてからそんな流れにどっぷりハマりつつ、大学も野球推薦で入りました。本当は服飾の専門学校とか行きたかったけど猛烈に反対されて(笑)。大学に入ってまで野球を続けたいとは思っていなかったんですけど、まあ大学は出ておいて損はないし、いずれ一度は地元を出て色々と経験したかったので、進学した大学に観光学がの専攻があり面白そうだなと思って決めました。

オレンジ自由化の影響とかで大変な時期があったので、実はうちの両親はみかん農家を継いでないんですよ。今でも祖父母が中心になって農家を続けてるんですけど、高齢者ばかりが汗を流しながらものすごい頑張って仕事をしているのを近くで見てて、高校の時からいつかは地元に戻ってみかん農家を継ぎたいと、漠然と思っていたんです。でもそれまでは自分のやりたいことをやりながら、自分が地元に戻ったときに自分なりのスタイルで農家をやりながらでも楽しめることを見つけようと思って、大学時代や卒業して数年はいろんな経験を積みましたね。

あまりに縦社会なコミュニティに馴染めなくて野球は半年で辞めたんですけど、大学時代に留学したカナダのビクトリアでスケーターに出会い、英語を学びつつ板を買ってスケートボードを始めたり、日本に戻ってからは大学の単位を3年間で取り終えて、4年の時は東京に部屋を借りてアパレルのセレクトショップで一年間働いた。

そのうち飲食に興味が出てきて、ケータリングやバーでバイトをしたり、白馬のスキー場や石垣のゲストハウスで働いたりしながらお金を貯めて、ワーキングホリデーでオーストラリアに行ってカフェで働きながらコーヒーをしっかりと淹れられるようになったりするうちに、地元に戻ってからのビジョンがなんとなく見えてきて、いてもたってもいられなくなって、みかん作りのために地元に戻ったんです」

兼業を楽しみ尽くす。

東京でモデルや飲食の仕事をしていた大阪生まれの亜希紗さんとはケータリングのバイト先で出会い、結婚後は一緒に宇和島に移住。亜希沙さんは現在、イラストレーターの仕事をしつつ、優一朗さんと共にみかん農家を手伝っている。

亜希紗 「優一朗が作るみかんは好きだったけど、結婚するまで自分が農業をやるとか考えたことなかったし、宇和島に住むことになるとはまったく想像していなかったですね。結婚して、優一朗一年半くらい先に宇和島に帰ったんですけど、その間に東京を離れてから宇和島でもできることを身につけておきたいと思って、以前から趣味で描いていたイラストを仕事にできるように準備を進めたりしていた。

宇和島に移住してからは、主にみかんやジュースの販売を手伝いながら、行けるときは農作業を手伝ったり、自分のイラストの仕事をしたり。陶芸も始めて、そろそろ実験的に販売もしてみようかと思っているんです。もちろん最初は大変なこともあったけど、今はもう宇和島での暮らしを楽しんでいて、東京には戻りたいとかは思わないですね」

スケートカルチャーで創る、フラットなコミュニティ。

祖父母の下で一人前の農家になるべく修行を続けつつみかんの木のバイオリズムにあわせた暮らしを営みながら、みかんの品種から名付けたというオリジナルブランドを主宰し、それまでの経験を生かしてみかんジュースやTシャツを展開するなど、地方ならではの兼業的な暮らしを実践し楽しんでいる若松さん夫妻だが、その礎となっているのが、優一朗さんがカナダで出会ったスケートカルチャーだ。

スケートボードを中心に、肌の色や年齢、性別など関係なくフラットに接し合う、その自由な関係性に惹かれ、宇和島に戻った後ゼロから地元にスケートコミュニティを築いてきた優一朗さんは、縦社会になりがちな農家コミュニティにも新たにフラットな関係性を模索している。

優一朗 「もともと田舎特有の上下関係が苦手で、野球をやっている時もなんて言うか僕はヘラヘラしたはぐれものだったんです。だから、あまり居心地がよくなかったんですけど、大学時代にカナダに留学してスケートボードに出会い、子どもから怖そうな大人までスケートボードしているとみんな仲良くなる感じ、例えば外国人の僕のトリックを見て刺青だらけのいかつい奴が『うおー!』って興奮して話しかけてきてやり方を教えたりとか、好きなものに純粋で自由な感じに惹かれて。競い合いつつも認め合って喜びを分かち合う感じがとても居心地良くて、そんな感覚でみかん農家もできたら最高だなと漠然と思うようになっていきました。

それで実際に地元に戻ってみると、やっぱり縦社会ははっきりと存在していて苦手だなとは思うんですけど、まずは自分のスタンスがそこにないから随分楽しく過ごせていると思います。当たり前になってしまっているような利害関係や人間関係を押し付けてくるようなことってしょうがないとは思うんですけど、そうじゃない世界もあるということを、自分の活動を通じて表現して、それに共感してくれる人が増えてくれたら嬉しいですよね。もともと大好きな地元だし、よりハッピーな場所になると思うから。

農家としてはまだまだ修行中の身ですけど、例えば自分たちで作っているタンジェリンジュースとかタンジェリンをモチーフにしつつもスケートテイストなグラフィックのアパレルとか地元でも注目してくれる人も増えてきているので、自分のような価値観が少しずつでも浸透していったら嬉しいし、僕たちみたいな若い農家がもっと元気にやれるような空気を作っていきたいですね」

自分が楽しみながら、みんなの楽しみを創る。

そんな優一朗さんが創ろうとしているのは、スケートを通じて得た独特の価値観を共有できる各地方にいる仲間たちがゆっくりと滞在できるような場所だ。まずは自分がそれを実践するために、自宅の納屋にスケートボードのランプを作り、仕事の合間に地元の仲間とスケートを楽しんだりもしている。ゆくゆくは、カフェやゲストハウスへと展開していくことも考えているそうだ。

優一朗 「カナダやオーストラリアに住んで、サンフランシスコ、シカゴ、ロスにニューヨーク、ハワイや中国にも滞在してみて、やっぱりスケートというカルチャーがあるとどこに行っても同じ価値観を持つ仲間と繋がれるんです。そんな仲間たちが宇和島に滞在して自然を楽しんだりみかんを収穫して食べたりしながら地元の人とフラットにコミュニケーションをとりつつスケートも楽しめるような場所を作りたいなと思っていて、まずは自宅の納屋にランプを作ったんです。地元にはまだ数人しかスケーターはいないですけど(笑)。そのために衣食住に関わるバイトをしながら経験を積んできたので、それを生かせるようなカフェとかゲストハウスをゆくゆくは作っていきたいんですよね。

スノーピークのウェアやギアは都会とか田舎とか問わずにフラットに自然と接するために生まれたものだと思うんですけど、僕は自分が大好きな宇和島の自然やスケートカルチャーを地元の人にも外からきた人にも楽しんでもらうために、まずは自分が楽しむことを大切にしながら一つひとつ、自然のサイクルで暮らしながら自分の手でじっくり作っていけたらと思っています。まだまだ修業中の身だし、いつできあがるのかわからないですけど(笑)」

farmer / skateborder
みかん農家 / スケートボーダー
Yuichiro Wakamatsu / 若松優一朗

photography:守本勝英
edit&text:佐藤 啓(射的
editorial assistant:佐藤稔子